2017年5月4日木曜日

大山・南尾根散歩


(コース概要)

(「小田急・鶴巻温泉駅」前から吾妻山、善波峠を経由し、大山南尾根を大山山頂へと登り、山頂より表参道を阿夫利神社・下社を経由し、「大山ケーブル」バス停に下る、約16km、約7時間20分と、ちょっと長めの散歩コース。)

 大山南尾根は、大山山頂から南麓の善波峠へと延びる長い尾根で、伊勢原市と秦野市の市境でもある尾根筋に沿うようにして登山道が整備されている。
 駅前から標高1,252mの大山山頂まで一気に登ることのできるルートは、昔から山仲間の間では、足慣らしコースとして知られ、トレーニングに登る人もいたが、近年は登山者の替わりにトレイルランニングのコースとして利用する人達が増えてきた。

 前半は、小田急・鶴巻温泉駅(北口)から桜の名所で知られる弘法山に連なる丘陵地へ取付き、吾妻山を過ぎた所で東海道の脇街道であった「矢倉沢往還」の善波峠へと分かれて行く。南尾根の南端・善波峠からは比較的緩やかな上りが念仏山(357m)へと続く。
 念仏山から次の高取山(556m)へは、山頂が近づくにつれ徐々に傾斜もきつくなるが、聖峰との分岐まで登ってくると山頂までもう少し。高取山・山頂から次の不動越え(イヨリ峠)までは、一旦下りとなりヒノキ林の中の古道(大山古道)を抜けると「浅間山林道」に出る。

 後半は、「浅間山林道」を横切るように向いの尾根道へ取付くと、浅間山(679m)と登って行く。この間、いくつもの電波塔や高圧送電線の鉄塔の下を通り過ぎる。
 尚、浅間山直下の登山道は、現在山頂の左側を巻く様に設定されているため、直接山頂を通過することはないが、旧道(ガレ道)を直登し、柵で囲われた電波塔を廻りこむように進むと、林の中に浅間山を示す表示がある。ただ山頂からの展望も無く、山頂手前にある「浅間宮」の石祠と、山頂の三等三角点以外には明確にピークと言えるほどの感じはない。
 浅間山の先が「蓑毛越」(蓑毛峠)、ここからが霊峰・大山の霊域へと登って行く尾根道。かつては、主に小田原、伊豆、駿河、甲斐方面から蓑毛を経由して大山・山頂(1,252m)へ至る信仰の道であり、「大山詣」参詣の裏参道として多くの人々が登って行った道で蓑毛道、富士浅間道などとも呼ばれた。途中、「賽の河原」、「女人禁制の碑」、「かごや道」などを経て、16丁目の「追分茶屋跡・分岐」で、阿夫利神社・下社から登って来る表参道(本坂)に合流すると大山山頂へ至る。

 下山は、表参道を「阿夫利神社・下社」、「女坂」、「大山寺」と経由して「こま参道」、「大山ケーブル」バス停へと下る約7時間20分の散歩みち。
 

(コース)
1.「小田急・鶴巻温泉」駅 →(2時間30分/6.0㎞)高取山
 ・「小田急・鶴巻温泉」駅 → 吾妻山 → 善波峠 → 念仏山 → 高取山

2.高取山 →(1時間20分/3.6㎞)蓑毛越(浅間山)
 ・高取山 → 不動越え(イヨリ峠) → NTT中継局 → 蓑毛越(浅間山)

3.蓑毛越 →(2時間30分/3.0㎞)大山山頂
 ・蓑毛越 → 賽の河原 → 女人禁制の碑 → かごや道・分岐 → 16丁目・分岐(追分茶屋跡) → ヤビツ峠・分岐 → 阿夫利神社・本社 → 大山山頂

4.大山山頂 →(2時間/3.4㎞)「大山ケーブル」バス停
 ・大山山頂 → ヤビツ峠・分岐 → 16丁目・分岐(追分茶屋跡) → (本 坂) → 登拝門 → 阿夫利神社・下社 → (女 坂) → 大山寺  → 追分社 → (こま参道) → 「大山ケーブル」バス停


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(所要時間)
・約8時間20分/歩行距離:約16.0km (時間/距離ともに参考程度とする)

(備 考)
・記 録:2017年 05月04日
・アクセス:「小田急・鶴巻温泉」駅(北口)
      「大山ケーブル」バス停(始発)
      「小田急・伊勢原」駅(北口)



(動 画)


●YouTube : 大山・南尾根散歩https://youtu.be/47TkmT4fd_Y


(大山・南尾根散歩みち)



大山・南尾根散歩/独案内(2017/04/24)

1.「小田急・鶴巻温泉」駅から高取山へ


▶ 小田急・鶴巻温泉駅(北口)の改札を出ると、正面の横断歩道を渡り、歩道を左へ歩くと植込みに「吾妻山/弘法山公園」の道しるべがあり、次の角で右に入る。
  「弘法の里湯」前を過ぎたところで、Y字路を左に行く。さらに「温泉旅館・陣屋」の看板を左に曲がり、東名高速に出た所で、高速道路の高架下通路を抜け、住宅地の左斜面を上ると、民家横を通り抜けるように吾妻山・登山道がある。
 
■ 「小田急・鶴巻温泉」駅から吾妻山・登山口へ

鶴巻温泉駅(北口)
駅前・横断歩道














駅前・歩道
吾妻山・道しるべ














弘法の里湯
Y字路を左へ














旅館・陣屋の看板を左へ
旅館・陣屋の看板を左へ














東名高速の高架下を抜ける
高架下の道しるべ














左斜面を上る
左斜面の道しるべ














吾妻山・登山口
吾妻山・登山口














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▶ 吾妻山・登山口から坪ノ内バス停との分岐に出た所で左へ曲がり、コナラやクヌギの雑木林が続くなだらかな丘陵の尾根道に入ると、程なく吾妻山・山頂である。
 吾妻山は、標高150mほどの小高い丘と言った感じで、吾妻山・山頂から弘法山へと続く道は、人気のハイキングコースとして週末や、桜の季節には多くのハイカーで賑わう。

 吾妻山から弘法山へ向かう途中に、善波峠への分岐がある。分岐を右へ2~3分歩くと「旧・矢倉沢往還」の善波峠である。
(善波峠の直ぐ下には、旧・国道246号の善波隧道(トンネル)が残っている。)
切通しの様になっている峠には、数体の石仏(享和、文化などの年号が刻まれている)と常夜燈が残るのみで、かつての街道の峠道としての機能は今は無い。

■ 吾妻山・登山口から善波峠へ

坪ノ内バス停・分岐
坪ノ内バス停・分岐














吾妻山・山頂
吾妻山・山頂














善波峠・分岐
分岐・案内板














善波峠・切通
善波峠・石仏群














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▶ 善波峠から、いよいよ大山南尾根の登りが始まる。先ずは、念仏山を目指す。
 資材置き場のような小屋の横を通り、獣害防護柵を抜けると高圧送電線が通る鉄塔(東秦野線No.14)をくぐり抜け、斜面を登ると念仏山・山頂(357m)である。
 かつて山頂では、念仏講が行われていた事からその名が付いたとも言われ、「南無阿弥陀仏」を唱える声は、山麓の集落にまで聞こえたと言われている。 <大山へ8.3km、鶴巻4.2km>の道しるべを大山へ向かう。

 念仏山から高取山へは、一旦下ると、しばらくはヒノキ林のなだらかな登りの尾根道が続くが、やがて露出した木の根の急斜面の登りとなり、聖峰との分岐にでる。ここまで来ると高取山山頂まではあと少し、分岐から6~7分ほどで高取山・山頂(556m)に到着。
 山頂には小さな広場にベンチが2か所ほど置かれているが、林に囲まれた山頂からの展望はあまり期待できない。以前は、木組の小さな展望台があり、大山や丹沢の山々、箱根連山、眼下に秦野、伊勢原市街を望むことが出来た。山頂の道しるべを大山へ向かう。
 ちなみに、左奥にはNHKの電波塔が立ち、その前の道は秦野市寺山へと下山する道である。

■ 善波峠から高取山へ

善波峠から念仏山へ
獣害防護柵














高圧送電鉄塔の下を通過
念仏山・山頂














山頂・念仏講跡
念仏山・山頂より秦野市街














高取山への急登
聖峰・分岐














高取山・山頂
山頂・NHK電波塔














山頂・展望少なし
山頂・道しるべ















2.高取山から蓑毛越(浅間山)へ


▶ 高取山からは、大山方面を目指し雑木林の中を下って行くと、栗原/神戸・分岐(鶴丸分岐)を過ぎた辺りでヒノキ林の緩やかな尾根道に変り、20分程で不動越え(イヨリ峠)の峠道に出る。

 峠道は、伊勢原市側の大山(旧坂本村)、子易(旧子安村)と秦野市側の寺山(旧寺山村)、小蓑毛を結ぶ生活道として、また「大山詣」の人々が歩いた参詣道(大山道)として利用された歴史ある古道である。

 明治には、既に「県道・大山秦野線」として整備される計画があったが、その後の鉄道の発達、車社会の台頭により徒歩による峠越えの山路は次第に利用されることもなく、県道としても忘れられた存在となる。現在でも県道701号線(大山秦野線)として道路台帳に記載がされていて、幻の県道とも呼ばれている。

 峠にある道標には、各地に残る大山道の道標と同じように不動明王座像が刻まれている。(以前は道標が半分に折れた状態で、路傍の茂みの中に埋もれるように放置されたままであったが、現在、地域の人々の努力により、「大山古道」として整備が行われるのを期に、道標も修復が行われ、峠のシンボルとして復活した。)
<大山5.5km/善波峠3.65km/才戸入口バス停2.0km>の道しるべを大山方向へ
 

■ 高取山から不動越(イヨリ峠)へ

不動越へなだらかな下り坂
高取山から不動越へ














不動越(イヨリ峠)・大山古道
不動越・道しるべ














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▶ 峠の道標前を通り過ぎ、40~50mほど直進すると「浅間山林道」に出る。林道を横切るようにして向い側の尾根道に取付くと、今までの林の中の小道から広い尾根道へと変わり、少し開放感を感じながら登って行く。(林道・分岐の道しるべに記載された大山山頂2時間のコースタイムは、少々きついかな?)
 ほどなく、「9番鉄塔(秦浜線No.9)」と呼ばれる送電線の鉄塔横を通過、左側がわずかに開け箱根連山とその右奥に富士山を展望する事が出来る。

  道は、小さなアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げると、やがてNTTの電波塔のある舗装された林道へと出る。林道を横切るように向い側の木段を上って行くと、再びヒノキ林の中の道を大山・下社(蓑毛越)へと向かう。
 
 浅間山直下の登山道は、現在山頂の左側を巻く様に設定されているため、直接山頂を通過することはないが、緑色のネット沿いに旧道(ガレ道)を直登し、柵で囲われた電波塔を廻りこむように進むと、林の中に浅間山(679m)を示す表示がある。ただ山頂からの展望も無く、山頂手前にある「浅間宮」の石祠と、山頂の三等三角点以外には明確にピークと言えるほどの感じはない。

 浅間山の先で、蓑毛から阿夫利神社・下社へ至る蓑毛道と交差する場所は、「蓑毛越」(蓑毛峠)と呼ばれ、休憩用のベンチが置かれている。

■ 不動越(イヨリ峠)から蓑毛越(浅間山)へ

浅間山林道・分岐
分岐・道しるべ














送電用9番鉄塔
送電9番鉄塔より富士山を望む















ロードバイクによる轍
電波塔














NTT電波中継所・林道
NTT電波中継所・登山道














● 千畳敷(浅間山の南斜面)
 浅間山から尾根筋をNTTの電波塔へと下る辺りは、現在はヒノキの高い樹林に囲まれ展望は無いが、昔は千畳敷と呼ばれる見晴らしのよい茅場(かやば)が広がり、5月の節句には大山門前町の男たちが、酒や煮しめの弁当を担いで尾根へと登ってくると、町内で競うように凧揚げを楽しんだと言う。

浅間山直下・分岐
浅間山直下・分岐














● 窯場入りの峠
 浅間山から蓑毛越に至るなだらかな尾根は、窯場入りと呼ばれ、昔、大山一山で使用される木炭を焼く炭焼き窯が近くにあったことに由来する地名である。

蓑毛越・分岐
蓑毛越・分岐















3.蓑毛越(蓑毛峠)から大山山頂へ


▶ 蓑毛越からは、大山山頂方面へ尾根沿いに急斜面を直登すると、10分ほどで左の蓑毛方面から九十九折に登ってくる道と合流する。
 かつて「大山詣で」の西の門前町でもあった蓑毛からの道は、「蓑毛道」、「富士浅間道」、「石尊道」などと呼ばれ、小田原、伊豆、駿河・甲斐方面から、さらには富士山参詣の人々が大山を目指した。

 分岐点から更に登った所に、石仏が六体ほど並んでいる。「賽(西)の河原」(さいのかわら)と言われる場所である。明治維新の廃仏毀釈の嵐で破壊されたものか、左端の地蔵尊像と思われる一体には「西坂本村・・・」、「奉造立相州大山寺」などの文字が読み取れる。

 さらに緩やかな長い尾根の登りから、平坦になるところの左側に、「女人禁制の碑」の説明板があり、「従是女人禁制」と刻まれた石塔が建っている。手前にある道標には、麓の蓑毛から「二十八町(丁)目」であることが刻まれている。

 さらに少し行くと、「かごや道」が右下から合流して来る。傍らに「御拝殿道」と刻まれた石碑がある。

ここから、岩が折り重なり、V字に深く浸食された土止めの木段を乗り越え、徐々に傾斜を増しながら、阿夫利神社・下社から登ってくる本坂の「十六丁目・分岐」に合流する。
 分岐は小さな台地状の広場になっていて、「追分茶屋」と言う茶店があったが、今はテーブルやベンチのある休憩場所になっている。南東側がわずかに開け、相模湾や江の島を望むことが出来る。

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■ 蓑毛越(浅間山)から16丁目(茶屋跡)・分岐へ

● 「蓑毛道、富士浅間道」
 富士山の祭神「木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)」と、大山の祭神「大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)」が父・娘関係であることから、富士山をお参りした後は、「片参り」を忌み嫌い、「両参り」として大山も参拝したという。
 この背景には、当時の信仰拡大を図るための大山や富士山関係御師による精力的な布教活動があったようで、現在で言う参拝者誘致のキャンペーン活動と言ったところか。

 また、大山(旧坂本村)から大山不動堂(現・阿夫利神社下社)、山頂の石尊大権現(現・阿夫利神社本社)への参拝道を「表参道」と言ったのに対して、蓑毛から直接、山頂へ至る道は「裏参道」とも言われていた。

旧蓑毛/富士道・分岐
賽の河原














● 「西(賽)の河原」(さいのかわら)
 此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける三途川(さんずのかわ)にあるとされる河原で、親に先立って死亡した子供らが、その親不孝の報いで苦を受ける場とされる。
 子供たちが親の供養のために積んだ石塔を鬼が来て破壊し、また積み直すと言った行為を永遠に繰り返すが、最終的には地蔵菩薩により救済されるという民間信仰に由来する。

 賽の河原と言えば、露出した岩原が広がる荒涼とした場所が想像されるが、現在はスギとヒノキの人工林に囲まれたこの場所も、露岩がゴロゴロと転がるススキ野原のような風景が広がる場所だったのだろうか。

 ただ、参考資料によっては、「西の河原」や「賽の河原」と書かれていて、いずれも「さいのかわら」と読ませているが、古い地名(小字名)は「西の河原」と表記され、いわゆる「賽の河原」と同意語なのか疑問が残る。
 大山の郷土資料などによると、江戸時代初めの慶長年間以前、大山一山のお仕置き場、すなわち罪人の処刑場であったとする記述もある。江戸時代以後は、麓・門前町である別所町の大滝手前の山中に移されたと伝えるが、その場所がどこであったかは定かではない。

賽の河原・石仏群
賽の河原














● 女人禁制の碑
 大山は、古くから山岳修験道の修行の場であり、石尊大権現が鎮座する神聖な場所として、女性の山頂への参拝登山は許されなかった。2mほどの石塔には「従是女人禁制」と刻まれた文字が辛うじて読める。弘化二年(1845)建立で、「御師邊見民部」、「奉納者御蔵前武蔵屋徳松」と刻まれている。
 
 手前の道標には、蓑毛からここが二十八丁目であることを示す文字が刻まれている。蓑毛から登ってきた女性たちは、ここから先へは立ち入ることが許されなかったが、明治維新の新政府によりこの禁が解かれ、女性の山頂への参拝も許されるようになる。 

女人禁制の碑
女人・結界














● かごや道
 阿夫利神社・下社の「登拝門」横から本坂を迂回するように登ってくる坂道で、やや緩やかな傾斜になっていることで、竹製の山駕籠に乗って登っていたことから「かごや道」と呼ばれた。主に麓・子易の農民や宿坊出入りの鳶職人が副業として駕籠かきをやっていたようで、大山が参拝者で賑わう夏山の期間は、丁度農閑期であったので、農家の良い現金収入になったと言う。
 戦後の昭和30年代頃までは山駕籠が使われていたようであるが、現在は道も荒廃し、ガレ場のようになり、かごや道の面影はない。

かごや道・分岐
分岐・道標














● 16丁目(追分茶屋跡)分岐の道標
 16丁目(追分茶屋跡)の本坂(表参道)との分岐に建つ道標で、高さが3.68メートルもあり、寛政十一年(1761)再建、正面に「奉献石尊大権現大天狗 小天狗御寶前」、右側面に「從是右富士浅間道(これよりみぎふじせんげんみち) 東口冽走江十四里(ひがしぐちすばしりへじゅうより) 小田原最乗寺江七里十町(おだわらさいじょうじへしちりじゅっちょう)」、左側面に「新吉原町中 宿坊寶寿院」と彫られている。


旧蓑毛/富士道
16丁目(追分茶屋跡)・分岐














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▶  16丁目からは、5月の連休中のこともあり大勢の登山者の波に押されるかのように山頂を目指す。山頂の28丁目までは、一丁目毎に石柱が案内してくれる。ただその間隔はまちまちなので、とりあえずの目安程度とみておいた方がよい。

 20丁目の富士見台では、春霞で富士山もかすかに見える程度、24丁目には「駕籠屋・立場」があって、麓から駕籠に乗って山頂を目指す人々も、神社の下馬の風習と同じように、ここで駕籠から降り、徒歩で山頂を目指す決まりになっていた。
 25丁目で左の尾根沿いにヤビツ峠からくる登山道が合流してくると、山頂まではもう少し、ここからは最後の急登、不安定な足元の岩に注意しながら5~6分ほど登って行くと、27丁目に立つ銅製の鳥居に迎えられる。

 鳥居をくぐり、木段と石段の混じる階段状の坂道を登ると、山頂入口の28丁目に、江戸火消し「れ組」が寛政十年(1798)に建てた石の鳥居があり、その鳥居をくぐった左側に「高龗神(タカオカミ)」を祀る前社、さらに石段を登った所に「大山祇大神(オオヤマツミ)」を祀る本社がある。

 さらに本社の社殿奥の、もう一段高くなったところに「大雷神(オオイカツチ)」を祀る奥社(奥の院)があり、その山頂広場の東側に「大山山頂・標高1,252m」を示す標柱が立っている。

■ 16丁目(茶屋跡)・分岐から大山山頂へ

本坂・表参道
25丁目ヤビツ峠・分岐














ヤビツ峠・道しるべ
本坂・最後の急登














27丁目・銅の鳥居
28丁目・石の鳥居














● 大山阿夫利神社
 大山山頂には、現在、本社に大山祇大神(オオヤマツミノカミ)、奥社(奥の院)に大雷神(オオイカツチノカミ)、前社に高龗神(タカオカミノカミ)が祀られている。

阿夫利神社・前社
阿夫利神社・本社














● 大山山頂
 大山は丹沢山塊に属するものの、その山容から独立峰の様相を呈し、晴れた日の山頂からの展望は雄大である。
 特に晩秋から早春にかけての澄んだ空気の青空の下では、眼下に相模平野が広がり、その先には三浦半島から房総半島、湘南海岸から伊豆大島、伊豆半島、箱根連山から富士山、その奥に南アルプスの山々を望むことが出来る。毎年、正月の初日の出を山頂で迎える人も多いい。

阿夫利神社・奥の院
大山山頂















4.大山山頂から「大山ケーブル」バス停へ


▶ 山頂からは、本坂を阿夫利神社・下社へと下る。山頂から16丁目の「追分茶屋跡・分岐」まで戻ると、分岐を左へ阿夫利神社・下社(登拝門)へと下る。
 本坂を下り、登拝門の急な石段を下ると、阿夫利神社・下社の境内に出る。ここからは湘南海岸が一望できる。


■ 大山山頂から阿夫利神社・下社へ

16丁目・分岐
8丁目・夫婦杉














「登拝門」の石段(114段)
「登拝門」(1丁目)














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▶ 阿夫利神社・下社からは、下社下のお茶屋を下ったところで、表参道の男坂と女坂に分かれ、右側の女坂を大山寺へと下る。(尚、阿夫利神社・下社からは「大山ケーブルカー」で下ることもできる。)


■ 阿夫利神社・下社から八意思兼神社(追分社)へ

登拝門
阿夫利神社・下社














下社・参道
下社・参道














女坂・分岐
女坂














大山寺
大山寺














女坂
八意思兼神社(追分社)














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▶ 大山寺から女坂をさらに下ると、八意思兼神社(追分社)で男坂と合流し、食堂や土産物店が並ぶ「こま参道」の石段を下って行くと、ほどなく市営駐車場の先に「大山ケーブル」バス停が見えて来る。


■ 八意思兼神社(追分社)から「大山ケーブル」バス停へ

男坂・分岐
こま参道














こま参道
こま参道・入口














「市営駐車場」前の坂道をバス停へ
「大山ケーブル」バス停