2017年6月6日火曜日

大山・蓑毛裏参道散歩


(コース概要)

(「小田急・秦野駅」から路線バスで「蓑毛」下車、蓑毛から大山南陵の「浅間尾根」を経て、大山山頂へと至るコースで、下山は「イタツミ尾根」からヤビツ峠を経由して再び「蓑毛」へと下る。)

 「蓑毛」は大山南麓に位置し、「西坂本」とも言われ、西の大山門前町として江戸時代には、17軒ほどの御師の宿坊があったと言われている。
 蓑毛から大山に至る道は、「蓑毛道」・「石尊道」・「富士浅間道」などと呼ばれ、また大山門前町の「表参道」に対し、「裏参道」とも呼ばれた。

 「表参道」が相模、武蔵、江戸などの東国からの参詣者に多く利用されたのに対して、「裏参道」は、主に小田原などの西相模、伊豆、駿河、東海地方、甲信越地方などからの参詣者の他に、富士講(富士山信仰)などの人々が利用したと言われている。

 今では表参道ほどの賑わいはないが、コース途中には「賽の河原」跡(六地蔵像)や「女人禁制の碑」など、大山詣りの遺構が残る古道を、のんびりとした気持ちで静かに味わうには程よいコースとも言えよう。

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 「蓑毛」バス停からは、「阿夫利神社・下社」、「蓑毛越」方面を目指し、金目川沿いの道を行きます。道は、関東ふれあいの道(大山参り蓑毛のみち)のコースにも含まれているため、コース標識も整備されていて、ルートを迷うこともないでしょう。

 「蓑毛越」の手前で、「下社」方面へと向かう「蓑毛道/関東ふれあいの道」と分かれ、九十九折れの急斜面を登り、大山南陵(浅間尾根)に出たところで「蓑毛越」方面から登ってくる南尾根ルートと合流し、大山山頂を目指す。
 途中、「賽の河原」跡や「女人禁制の碑」、「かごや道・分岐」などを通過し、16丁目・本坂追分(追分茶屋跡)で表参道(本坂)に合流すると、ここからは表参道(本坂)を山頂へと上って行く。

 山頂からの下山は、25丁目の「ヤビツ峠・分岐」まで下ったところで、ヤビツ峠方面へと「イタツミ尾根」を下って行き、さらにヤビツ峠手前の「蓑毛・分岐」で蓑毛へと下って行く、約5時間30分(休憩時間は含まず)の散歩みち。
 

(コース)
1.「蓑毛」バス停 →(75分/ 2.0㎞)浅間尾根・分岐
 ・ 「蓑毛」バス停 → 常夜燈・分岐 → 林道ゲート → 石尊道・分岐 → 浅間尾根・分岐

2.浅間尾根・分岐 →(80分/ 1.2㎞)16丁目・本坂追分(追分茶屋跡)
 ・ 浅間尾根・分岐 → 賽の河原(六地蔵) → 女人禁制の碑 → かごや道・分岐 → 16丁目・本坂追分(追分茶屋跡)

3.16丁目・本坂追分(追分茶屋跡) →(55分/ 0.9㎞)大山山頂( 阿夫利神社・本社)
 ・16丁目・本坂追分(追分茶屋跡) → 25丁目ヤビツ峠・分岐 → 大山山頂( 阿夫利神社・本社)

4.大山山頂( 阿夫利神社・本社) →(120分/ 5.9㎞)「蓑毛」バス停
 ・大山山頂( 阿夫利神社・本社) → 25丁目ヤビツ峠・分岐 → (イタツミ尾根) → 蓑毛・分岐 → (柏木林道) → 秦野名水(春岳湧水) → 常夜燈・分岐 → 「蓑毛」バス停

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(所要時間)
・約5時間30分/歩行距離:約10km (時間/距離ともに参考程度とする)

(備 考)
・記 録:2017年 06月03日
・アクセス:「小田急・秦野」駅(北口)
      「蓑毛」行き/「ヤビツ峠」行き・「蓑毛」バス停下車



(動 画)


●YouTube 大山・蓑毛裏参道散歩https://youtu.be/Uwr53dmn1Ps


(大山・蓑毛裏参道散歩みち)





大山・蓑毛裏参道散歩/独案内(2017/06/03)

1.「蓑毛」バス停から浅間尾根・分岐へ


■ 西の大山門前町と言われた「蓑毛宿」

 江戸時代初期、徳川幕府の行った「山門改革」により、古くより大山を修行の場としていた僧侶(妻帯僧など)、修験者らが山内を追われ、その多くが麓の坂本村(現・大山)に居住し、また一部は蓑毛村(現・蓑毛)に移住した。

 やがて、門前町を形成し、大山寺に属する御師(先導師)となり、大山信仰の普及と拡大を図るため、精力的に江戸を中心とした関東各地を巡り、檀家の獲得と大山講の結成を勧め、その後の江戸期における「大山詣で」の大ブームを起こす要因になったとも言われている。大山信仰の普及発展は、山を追われた御師たちの生活をかけた精力的な普及活動によるものであったとも言える。

 資料によると、江戸・天保年間には、大山に149軒、蓑毛に17軒の宿坊があったと記されている。山頂への参拝が許された「夏山」の時期には、多くの参拝者で賑わった事だろう。
 
 現在、大山門前町には40軒ほどの先導師の宿坊(旅館)があり、参道には食堂や土産物店が並び、参拝者や観光客で賑わう風景も見られるが、ここ蓑毛には地区の入口(県道中央分離帯)に立つ安政六年建立の立派な石の大鳥居のほかは、かっての門前町を彷彿とさせる町並みは残っていない。
 
蓑毛入口・安政年間に建立の大鳥居

















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■ 「蓑毛」バス停前から「常夜燈・分岐」へ

▶ まずは「蓑毛」バス停前の県道(秦野清川線)を横切り、「蓑毛橋」手前の春岳沢(金目川)に沿って緩やかな坂道を登って行く。

「蓑毛」バス停
















県道を横切り春嶽沢(金目川)沿いを登って行く
















マス釣り場前を上って行く

















■ 「常夜燈・分岐」

▶ 春岳沢に沿って300mほど、マス釣り場を過ぎた辺りで程なく常夜燈が見えて来る。
常夜燈は、「大山詣で」が盛んだった頃の文化元年に建立されたもので、左へヤビツ峠に向かう「柏木林道」と、右に大山へと向かう「蓑毛道」に分かれる分岐点に建っている。

常夜燈・分岐を右へ
















関東ふれあいの道・道標

















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■ 「常夜燈・分岐」から「林道ゲート」へ

▶ 常夜燈・分岐を右へ「下社」方面に向い、右側の人家を過ぎたところで雑木林の中へと入って行く。小沢を過ぎると檜林の中の道となり、所々小石で舗装されていて、比較的歩きやすい。道は途中、舗装された林道を2度ほど横切る。

舗装された林道を2度ほど横切る
















檜林の中の石で舗装された道

















■ 「林道ゲート」から「石尊道・分岐」へ

▶ 3度目の林道に出たところで林道に沿って少し登って行くと、林道の分岐にゲートがあり、その右横側をすり抜けるように入って行く。
 林道のゲートを抜けて最初の曲がり角に、林の中を登って行く登山道があり、「蓑毛越え」0.7㎞の道標が立っている。

林道ゲートの右横側を入る
















最初の曲がり角で林の中の道へ入る
















小尾根を登って行く

















■ 「石尊道・分岐」から「浅間尾根・分岐」へ

▶ 「蓑毛越え」の少し手前、やや急だった登山道が右に折れ、平坦になったところの道端に「百回登山記念碑」と、関東ふれあいの道の道標が立っている。

 道標の前をそのまま右へ行く道は、「蓑毛越え(蓑毛峠)」を経て阿夫利神社・下社(明治維新までは大山寺・不動堂があった)に至る「裏参道・蓑毛道」で、左上の小尾根を登って行く古い石段の道は、大山山頂へ向かう「石尊道(富士浅間道)」である。
  
 「百回登山記念碑」には、大正五年五月吉日、静岡県の「新栄講中」の文字が刻まれている。石碑は道標にもなっていて、資料によると「右 拝殿道 左 本社道」とあるが、風化と破損により一部判読不可の状態になっていた。
 
 その時の時代によって、右の下社(旧不動堂)へ向かう道は「不動堂道・拝殿道・蓑毛越え」などと呼ばれ、左斜面を山頂へと登って行く道は「石尊道・本社道」などと呼ばれていたようである。

「百回登山記念碑」と道標
















左斜面の古い石段を上って行く

















■ 「浅間尾根・分岐」

▶ 少し上ると石段は落葉に埋もれ、急斜面にV字に切れ込んだ道を九十九折りに登って行き、大山南陵の浅間尾根に出ると、右下から「蓑毛越え」を経由して登ってくる道に合流する。

浅間尾根・分岐に出る
















浅間尾根・道標
















尾根道を登って行く


















2.浅間尾根・分岐から16丁目・本坂追分(追分茶屋跡)へ


■ 「浅間尾根・分岐」から「賽の河原(六地蔵)」へ

▶ 浅間尾根をしばらく登ると、道は尾根筋を少し外れ、緩やかに右折する。その道沿いに六体の地蔵像が並んでいる。何れも頭部がなく、風化というよりも意図的に破壊されたものと思われ、明治維新時の全国的な廃仏毀釈運動により、ここ大山山中でも多くの仏像や石仏などが破壊されたと言う。これらの石仏もその名残だろうか。

 その中で一番大きい地蔵立像には、「西坂本村・・・」、「奉造立相州大山寺」などの文字が刻まれていたことから、西坂本村即ち蓑毛の人が建てたものと思われる。

 この場所は、「賽の河原(西の河原)」と呼ばれ、古くは大山山中で罪を犯した者を処罰するお仕置き場(処刑場)だったとも言われている。今は林に囲まれているが、かつては岩尾根の荒涼としたススキ野原の台地状の風景が広がっていたのかもしれない。

「賽の河原」跡の六地蔵

















■ 「賽の河原(六地蔵)」から「女人禁制の碑」へ

▶ 「賽の河原」跡を過ぎ、道を登って行くと、程なくなだらかな尾根道になり、視界がやや開けて正面に大山山頂部が見えてくる。尾根道が緩やかな下り勾配に変わった先の左側の林の中に2mほどの石碑が立っている。正面に「従是女人禁制」、左側面に「弘化二年(1845)建立」と右側面に「二十八丁目 左 ○○道 右 ○○道 奉納者御蔵前武蔵屋徳松」の文字が刻まれていた。

 また、「新編相模国風土記稿」には、「山ノ中腹ニ木戸門アリ。是ハ石尊社ヘ 西ノ方ヨリ登ル路ニテ 常ニハトザセリ・・・・云々」の記述があり、手前には二十八丁目と刻まれた道標もあるところから、江戸時代には結界を示す木戸門がこの辺りに設けられていたのだろうか。 蓑毛側から登ってきた参拝者も、表参道側の「登拝門」と同様に、ここから先には立ち入ることが出来なかっが、夏山の祭礼期間だけは木戸門が開けられ、山頂までの参拝が許されていたのだろう。

 ただし、この期間であっても女性たちは、ここから先へは立ち入ることが許されなかったが、明治になり新政府によりこの禁が解かれ、女性の山頂への参拝も許されるようになる。これは大山だけの話ではなく、かつて山を神仏の聖域とする山岳信仰おいては、全国各地でしばしば起こった事象でもある。現在大山は、誰でもがいつでも登ることが許されていて、週末には多くの登山者で賑っている。

女人禁制の碑

















■ 「女人禁制の碑」から「かごや道・分岐/西の峠」へ

▶ 「女人禁制の碑」から、尾根道を少し下って行くと「西の峠」と呼ばれる鞍部に出る。その鞍部に右下斜面から合流してくるのが「かごや道」である。
 「かごや道」は、下社から急な登りの「本坂」を迂回するように峠へと登ってくる道で、「本坂」より緩やかだったことから、山駕籠に乗って登ることが出来た。
 だが、道が沢沿いにある為か、現在は荒廃し、ガレ場の様になっていて、かごや道の面影はなく、昔の人はこの道の維持管理に相当苦労しただろうと想像する。

 「かごや道」が、いつ頃造られたものかは定かではないが、ちなみに、「拝殿道」と呼ばれたのは、明治6年に「阿夫利神社・下社(拝殿)」が建てられてからで、それまでは「大山寺・不動堂」があったことから「不動堂道」と呼ばれていたのかもしれない。
 西の峠の分岐には、「御拝殿道」と刻まれた大石が残されている。

 山駕籠は、ここからさらに16丁目の追分茶屋で本坂と合流し、さらに上の24丁目の「駕籠屋・立場」まで登ることが出来た。麓から駕籠に乗って山頂を目指す人々も、24丁目から上は神社の「下馬」の風習と同様に駕籠から降り、徒歩で山頂を目指す決まりになっていたようだ。

西の峠へ下る
















「御拝殿道」(下社への道)と刻まれた大石
















西の峠/かごや道・分岐

















■ 「かごや道・分岐/西の峠」から「16丁目・本坂追分(追分茶屋跡)」へ

▶ 「かごや道・分岐/西の峠」から、再び上り坂になる。ゴロゴロして石くれの多いい道を直登し、左折すると、今度は行く手を遮るように大きな岩が幾つも出っ張っている中を避けるようにして曲折しながら登って行く。

 道は浸食され、V字に切れ込んだ谷底を歩くようで、雨や雪の降った後などは難儀をする所でもある。木段の道となり、しばらくすると前方に本坂16丁目の石塔が見えてくる。

  道を登り切ると、小さな台地状の広場に出る。下社から山頂・本社へ登る表参道・本坂の16丁目にあり、蓑毛方面への追分(分岐)でもあったことから、以前は「追分茶屋」があった。現在は、木製のベンチがあり南側がわずかに開け、ちょうどいい休憩場所となっていて、週末ともなると本坂からの大勢の登山者で賑わう所でもある。

 広場の南端には立派な石柱が建っている。道標を兼ねていて、正面に「奉献石尊大権現大天狗 小天狗御寶前」、右側・西面に「從是右富士浅間道(これよりみぎふじせんげんみち) 東口冽走江十四里(ひがしぐちすばしりへじゅうより) 小田原最乗寺江七里十町(おだわらさいじょうじへしちりじゅっちょう)」、左側・東面に「新吉原町中 宿坊寶寿院」、背面に「寛政十一年(1799)未年八月吉日」と刻まれている。
  
 蓑毛からの道は、おもに山頂への上りは「石尊道」、下りは「富士浅間道」と呼ばれていたようである。それにしても、これだけ大きな石塔をどのようにしてここまで担ぎ上げたのだろうか。

16丁目・本坂追分への登り
















16丁目・本坂追分(追分茶屋跡)の道標
















16丁目・本坂追分(追分茶屋跡)


















3.16丁目・本坂追分(追分茶屋跡)から大山山頂( 阿夫利神社・本社)へ


■ 「16丁目・本坂追分(追分茶屋跡)」から「大山山頂( 阿夫利神社・本社)」へ

▶ 16丁目からは表参道(本坂)を登って行くが、まずまずの天気とあって、相変わらず週末の表登山道は大勢の登山者で賑わっていた。17丁目の木道を過ぎ、20丁目の「富士見台」で尾根筋にでると、所々視界も開けて来る。

 25丁目のコル(鞍部)に出たところで、左側の尾根筋をヤビツ峠方面から登ってくる「ヤビツ峠道」に合流し、26丁目の岩尾根を登り切ると、程なく27丁目の「銅の鳥居」が見えくる。 ここまで来れば、山頂まであとわずか。木段を上ったところで、28丁目の山頂入口に建つ「れ組」の石の鳥居が迎えてくれる。

25丁目ヤビツ峠・分岐
















27丁目・銅の鳥居
















28丁目(山頂入口)・石の鳥居

















■ 「大山山頂」

▶ 山頂入口にある「前社・(高龗神(タカオカミ)」を過ぎ、石段を上った所が「大山阿夫利神社・本社」である。御祭神は大山祇大神(オオヤマツミノオオカミ)、御神体は本殿下に鎮座する巨石とも言われている。 神仏習合の時代「石尊大権現」として祀られていたが明治の神仏分離令によりその名は廃された。

 本殿横の石段の右側には、「鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)」を祀る「徳一・八天社」の小祠(しょうし)があり、相模湾沿岸の漁民の豊漁祈願や、沖合を航行する船人の海上安全祈願の守護神として信仰されてきたという。

 さらに、石段を上った所が山頂広場で、奥に「大雷神(オオイカツチ)」を祀る奥社(奥の院)がある。広場の東側、旧売店跡の建物の前に大山山頂を示す「標高1,251.7メートル」の標柱が建っていて、登頂記念に写真を撮る人々で賑っていた。
 
阿夫利神社・本社への石段
















阿夫利神社・本社
















山頂・奥社(奥の院)
















大山山頂・広場


















4.大山山頂( 阿夫利神社・本社)から「蓑毛」バス停へ


■ 「大山山頂( 阿夫利神社・本社)」から「25丁目・ヤビツ峠分岐」へ

▶ 今回は山頂からの下山ルートとして、「旧御中道」跡を経由して「25丁目・ヤビツ峠分岐」から、久し振りに「ヤビツ峠道」を蓑毛へと下ってみることにする。

 山頂広場から、東側の「見晴台方面下山口」の木段を下り、東側の広場に出ると、山頂・トイレ横の道を抜け、電波塔の立つ広場へと出る。道は山頂の北側を廻りこむようにして、27丁目の「銅の鳥居」へと下って行く。ここからは天気が良いと丹沢の山々や富士山、遠く秩父の山や南アルプスの山々を見ることもできる。

山頂東側・広場
















山頂北側・電波塔広場の旧御中道跡
















27丁目「銅の鳥居」横に出る

















■ 「25丁目・ヤビツ峠分岐」から「蓑毛・分岐 」へ

▶  26丁目の岩尾根を下り、「25丁目・ヤビツ峠分岐」で右の尾根道(イタツミ尾根)を下って行く。分岐点から少し下った所で、斜面の崩壊した場所を通過する。視界が開け展望もよいが、足元に気を付けてゆっくりと下って行く。

 途中、少しのアップダウンはあるものの、このコースの登山口でもある「ヤビツ峠」までバスか車で上がって来れば、大山登山道の中では一番楽なコースと言えよう。そのためもあってか、週末を中心に利用する登山者も増えたようだ。 

 麓の秦野方面からヤビツ峠へ登ってくる県道が谷間越しに見えて来ると、下り坂も緩やかとなり、バス停のある峠の県道に出る手前で、左側の斜面をさらに蓑毛へと下る「柏木林道」の分岐にでる。(なお、ヤビツ峠からは小田急・秦野駅まで路線バスが運行されている)

25丁目・ヤビツ峠分岐
















25丁目分岐で右の尾根道を下る
















イタツミ尾根を下る
















ヤビツ峠手前の「蓑毛・分岐」
















「蓑毛・分岐」で左へ下る

















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■ 久し振りに「ヤビツ峠」へ寄り道してみた。

「ヤビツ峠」は、「大山登山」と、「塔ノ岳・表尾根登山」の登山口になっていることから、登山シーズンの週末には今も多くの登山者で賑う。
(ヤビツ峠からは小田急・秦野駅まで路線バスが運行しているが、時間帯によっては運行便が少なかったり、冬期は運休していることもあるので、事前に調べておくことをお勧めします。)

峠の売店
















ヤビツ峠のバス停

















■ 「蓑毛・分岐 」から「蓑毛バス停 」へ

▶ ちょっとだけ寄り道し、再び「蓑毛・分岐 」まで戻ってから、分岐を左へ「柏木林道」を蓑毛バス停へと下って行く。
 週末でもほとんどの登山者は、ヤビツ峠からバスに乗って下って行くので、この道を歩く登山者の姿は昔にくらべて少なくなった。(今日も途中で5~6人の登山者が下って来たが皆さん全員がバスに乗って行った。)

「柏木林道」1
















「柏木林道」2
















「林道分岐」
















「髭僧の滝・分岐」を右へ下る
















「髭僧の滝・分岐」2

















■ 秦野名水(春岳湧水)

▶ 「髭僧の滝・分岐」を下り、春岳沢の木橋を渡ったところに「秦野名水・春岳湧水」がある。湧水というよりも、コンクリートの護岸から漏れ出てると言った感じである。
 秦野市の水道取水場を過ぎると、道は杉木立の中をゆっくりと下って行く。所々墓地や民家の礎石らしい痕跡が、夏草に見え隠れする。

 この辺りは、かって「元宿(もとじゅく)」呼ばれたところ、路傍の案内板には「以前は、多くの家々が立ち並んでいましたが、関東大震災後の大雨による土砂崩れで十五軒が流出したため、蓑毛の集落に移転したという伝承があります。現在は、屋敷の跡だけが残っています。(秦野市)」と記されていた。

 杉木立を抜け、千元院の前を過ぎると「常夜燈・分岐」に到着。バス停までもう少し。

春岳沢の木橋を渡たる
















「秦野名水・春嶽湧水」
















「秦野名水・春嶽湧水」
















「蓑毛・元宿跡」

















■ 「常夜燈・分岐」

▶ 「常夜燈・分岐」まで戻ってきたところで、川(春岳沢)沿いに下ると、マス釣り場の手前で右側にある売店横の小道に入り、春岳沢の小橋を渡ると林の中の小道に入る。
 この道は、すぐ先で蓑毛・大日堂の境内横に出る道で、かつての旧大山道跡と言われている。

「常夜燈・分岐」

















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■ 蓑毛・大日堂

 古くは「覚王山 安明院」と称し、天平十四年(742)の創建と言われ、奈良時代には七堂伽藍を有する大寺院であったと言われている。境内には大日堂のほか、仁王門、不動堂、茶湯殿、御嶽神社、神楽殿などの建物が残されている。
 また、境内の右側に小道(旧蓑毛道)があり、大山道の解説碑がある。昔の大山道(裏参道)は大日堂の境内を通り抜け、春岳沢(金目川)を渡り、少し上の常夜燈のところに出たようだ。

 秦野市の設置した「古道解説」の石碑によると、「蓑毛道は、西坂本とも呼んだ蓑毛から大山参拝を行った参道であり、良弁僧正が奈良時代に大山寺を開創した当時からの歴史的な参道であった。長い間本道としての地位を保ち続けたが、江戸時代に庶民の間で娯楽をかねた大山参詣が盛んになると、江戸に近く道順の良い伊勢原市側からの参詣が主流になり本道としての地位をこれに譲った。蓑毛道はもっぱら蓑毛の御師(先導師)を定宿とした相模国西部(神奈川県)や駿河、伊豆国(静岡県)などの大山講の講人たちにより利用されていた。(秦野市)」と記されている。

 大日堂は、現在、別当寺であった「蓑毛山 寶蓮寺」(県道の向い側にある寺)が管理している。

蓑毛・大日堂
















旧大山道(旧蓑毛道)
















大山道・解説碑
















大日堂・仁王門と右に旧大山道(旧蓑毛道)

















■ 「蓑毛バス停」

▶ 大日堂の仁王門を出て、すぐ前の県道を左へ金目川(春岳沢)に架かる「蓑毛橋」を渡ると「蓑毛バス停」である。

「蓑毛バス停」