2017年5月19日金曜日

大山・日向薬師散歩


(コース概要)

(「日向薬師」バス停から日向渓谷を遡り、九十九曲から見晴台を経由して、雷ノ峰尾根を大山山頂へと至るコース)

 「日向薬師」は大山の東麓、日向山の中腹にあり、中世には山中に13坊を有する薬師信仰の霊場として、また山岳修験道の行場としての歴史を持ち、鎌倉時代の史書『吾妻鏡(あづまかがみ)』には、源頼朝が娘の病気平癒祈願のため自ら「日向山」へ参詣したとの記述もある古刹である。
 「日向薬師」から大山・門前町に至る山越えの道は「日向越え・薬師道」とも呼ばれた古道で、不動堂(現・阿夫利神社下社)を経由して山頂へ至る参拝道でもあった。

 出発は「日向薬師」バス停から日向川の渓谷を遡り、「日向林道」を上って行くと伊勢原市の「日向ふれあい学習センター」の手前に登山道入口、さらに九十九曲の急斜面を尾根へと出た所に「勝五郎地蔵」がある。
 「勝五郎地蔵」からは比較的緩やかな尾根道を「見晴台」へと上って行く。「見晴台」で左斜面を下社へと下る道が分岐、山頂へはそのまま尾根道を直進し、正面の山頂へとのびる「雷ノ峰尾根」を登って行く。 尾根道を40~50分ほど登ると右下から「不動尻道」が合流、さらに急登すると程なく「大山の肩」と呼ばれる台地に着く。ここまで来れば山頂までもう少しである。
 やがて、急に視界が開け「東の広場」と呼ばれる山頂直下のテラスに到着、さらに木段を登ると標高1,252mの山頂広場である。

 山頂からの下りは、やや遠回りとなるが山頂・奥の院北側の電波塔の建つ「旧お中道」を通り、27丁目の「銅の鳥居」で本坂に合流すると、16丁目(追分茶屋跡)の分岐点で「蓑毛裏参道・富士浅間道」を「西の峠」へと下り、さらに峠の分岐を「かごや道」経由で「阿夫利神社・下社」へと下る。 「阿夫利神社・下社」からは、二重滝のある二重社を経由して「見晴台」まで登り返すと、再び「薬師道」を「日向薬師」へと下って行く、約5時間45分の散歩みち。
 

(コース)
1.「日向薬師」バス停 →(90分/2.9㎞)見晴台
 ・ 「日向薬師」バス停 → (日向林道) → 登山道入口 →  (九十九曲) → 勝五郎地蔵 → 見晴台

2.見晴台 →(70分/2.4㎞)大山山頂(阿夫利神社・本社)
 ・ 見晴台 → (雷ノ峰尾根) → 不動尻・分岐 → 大山の肩 → 大山山頂( 阿夫利神社・本社)

3.大山山頂 →(75分/2.2㎞)阿夫利神社・下社
 ・ 大山山頂 → (旧お中道)→ 27丁目・銅の鳥居  → (本坂)→ 25丁目・ヤビツ峠分岐 → 16丁目・蓑毛裏参道分岐 → (蓑毛裏参道/富士浅間道) → 西の峠分岐 → (かごや道) → 阿夫利神社・下社

4.阿夫利神社・下社 →(110分/4.3㎞)「日向薬師」バス停
 ・ 阿夫利神社・下社 → 二重滝(二重社) → 見晴台 → (日向越え・薬師道) → 勝五郎地蔵  →  (九十九曲)→ 登山道入口 → (日向林道) → 「日向薬師」バス停

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(所要時間)
・約5時間45分/歩行距離:約11.8km (時間/距離ともに参考程度とする)

(備 考)
・記 録:2017年 05月01日
・アクセス:「小田急・伊勢原」駅(北口)
      「日向薬師」バス停(終点)


(動 画)


●YouTube : 大山・日向薬師散歩( https://youtu.be/AdG3_NQ2n7s


(大山・日向薬師散歩みち)



大山・日向薬師散歩/独案内(2017/05/01)

1.起点・「日向薬師」バス停から見晴台へ


■ 「日向薬師」バス停前から「薬師道・登山道口」へ

▶ 出発は「日向薬師」バス停から、バス停前の車道を左へ、緩やかな坂道を上って行く。バス停を過ぎると右側に「日向神社」がある。

 日向の鎮守で、古くは「白髭神社」と呼ばれ、白髭明神(朝鮮半島の高句麗国から亡命してきた高麗王・若光)が御神体と言われている。
 日向薬師の縁起によると、霊亀二年(716)この地を訪れた行基が、熊野権現・白髭明神の授けによって得られた霊木に、一刀三拝の礼を以って薬師如来を彫りあげ、その像を本尊とし、寺を開創したとされる。

 現在は熊野権現が合祀され、神社とその左側の旧熊野神社跡の畑の間には、日向薬師の旧参道(古道)と言われる小道があり、その入口には、「右 やくし道 左 一之沢道 大山みち」の道標が残されている。
 
「日向薬師」バス停から車道を左へ

















浄発願寺へ

















日向神社

















日向薬師・旧参道(古道)と道標

















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▶ 棚田の風景が残る坂道を登って行くと、右に「薬師林道」の分岐があり、通り過ぎたところで道は左へ曲がると、両側からせまる新緑の山肌をぬうように流れる日向川の渓谷の道へとかわる。
 「日陰道」古道の分岐を過ぎると、程なく対岸に「浄発願寺」の三重塔が見えて来る。

棚田の風景が残る坂道

















「薬師林道」分岐・直進

















「薬師林道」分岐

















「日陰道」分岐

















「浄発願寺」の三重塔

















● (浄発願寺)
「無常山 浄発願寺(天台宗・弾誓派本山)」と言い、慶長13年(1608年)、木喰僧・弾誓(たんせい)上人により開山。
 もとは、ここより1kmほど上流の「一の沢」の山中にあったが、昭和13年の台風による山津波で崩壊、その後の復旧は困難であるとして、昭和17年(1942年)この地に移転し、再建された。 また旧浄発願寺跡は現在、「浄発願寺・奥の院」と呼ばれている。

「浄発願寺」

















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▶ さらに歩くと「御所の入り」と言う所で、日向山荘の手前に左へ入る道が分岐し、 日向川の橋を渡り、林に囲まれたなかに「大友皇子の墓所」と伝わる五層の石塔がある。

 「日向山荘」横を過ぎ、杉林の道を上って行くと、右側に「石雲寺」が見えて来る。

「御所の入」・左は大友皇子の墓所への道

















杉林の日向林道

















● (石雲寺)
 「雨降山 石雲寺(うこうざん・せきうんじ)」という曹洞宗の寺で、奈良時代、霊峰大山の中腹に華厳法師が紫雲に導かれて開いたと伝わる古刹である。
 山号は、大山にある「大山寺」と同じ「雨降山」で、寺伝によれば今からおよそ千三百年前の養老2年(718)、開祖である華厳妙瑞(けごんみょうずい)法師が、大友皇子の菩提を弔うために一寺を建立したのが始まりとされ、開基は大友皇子と言われている。

 古くは総門下の渓谷(日向川)の対岸(「伝・大友皇子の墓所」附近)に位置していたが、後に現在の場所に移築されたと言われ、古地図には「雨降院跡」と記され、 「皇子の墓地跡」とともに、戦前は宮内省の所領でもあったようである。

 大友皇子は、天智天皇の第一皇子であったが、天皇が崩御した後に叔父である大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)との王位継承をめぐる争い(壬申の乱・672年)に敗れ、自害したと言われている。

 その御陵は、滋賀県大津市御陵町の「長等山前陵(ながらのやまさきのみささぎ)」とされているが、壬申の乱に敗れた後、妃や子女を伴って密かに東国へ逃れたとする伝説などが広まり、愛知県(岡崎市小針町/西大友町)や千葉県(君津市・白山神社古墳)、神奈川県(伊勢原市日向)などには、大友皇子の御陵だという伝承が幾つか残されている。

石雲寺

















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▶ 林道は、日向川に架かる「梅ヶ尾橋」を渡り、徐々に傾斜を増しながら上って行く。
「クアハウス・山小屋」(レストラン、キャンプ場)を過ぎたところで、右の渓流(日向川)に下る小道が分岐している。

● (一の沢・浄発願寺跡)
 渓流(日向川)に架かる小橋を渡ると、広場の奥に大きな宝筐印塔・五輪塔・地蔵尊などが並んでいる。「一の沢・浄発願寺」の山門跡で、これより石段を15分ほど上った山中に、昭和13年の台風による山津波で流失した本堂や庫裡の遺構だけが残されていて、現在は「浄発願寺・奥の院」と呼ばれている。
 さらにその上部には、開祖・弾誓上人が修行したいう岩屋があり、歴代住職などの数多くの無縫塔(むほうとう)が立ち並んでいる。

 かつて、陰暦10月に三日三晩をかけて行われる「御十夜法要(おじゅうやほうよう)」では、本堂、庫裡に多くの信者があふれ、鎌倉の「光明寺(こうみょうじ)」・平塚の「海宝寺(かいほいじ)」と合わせ「相模の三大十夜」と呼ばれるなど、昭和の初期まで盛大に行われていたと言う。
 麓にある七沢などの古道には、「一の沢、一の沢道」などと刻まれた道標を見かけることもあり、一の沢と言えば「浄発願寺」を指す名として知られていたようである。

▶ 一の沢・分岐を過ぎ、林道をさらに上ると左上に「伊勢原市・日向ふれあい学習センター」が見えて来る。 その建物の手前、林道左側に「下社・見晴台」を示す標識の立つ「薬師道・登山口」がある。

梅ヶ尾橋・日向渓谷

















「クワハウス・山小屋」

















「一の沢・浄発願寺」跡/入口















「不動滝 左 大山道」の道標(旧道跡)

















薬師道・登山口

















薬師道・登山口

















「見晴台」方面・道しるべ(登山口)

















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■ 「薬師道・登山道口」から「見晴台」へ

▶ 登山道口から小沢に架かる木橋を渡り、斜面をジグザグに上って行くと、右から上ってくる「日向林道」に出る。 林道を斜めに横切るようにして向い側の斜面に取付き、手摺付きの石段を上って行く。

 杉林の通称「九十九曲」と呼ばれる九十九折りの坂道を約40分ほど上ると、大きな石地蔵の立つ尾根筋にでる。 地蔵は作者の石工の名前から「勝五郎地蔵」と呼ばれている。 丸顔で少し微笑んでいるような優しい顔立ちで、季節により時々衣替えをしている。

小沢の木橋

















「日向林道」を横切り、手摺付き階段を上る

















「九十九曲り」

















「勝五郎地蔵」
















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▶ 杉林の尾根道から、徐々に視界の開けた斜面を上って行くと、なだらかな台地状の尾根に東屋風の休憩所と木製のテーブルやベンチが並ぶ「見晴台」(770m)に到着する。 「見晴台」からは、正面に「雷ノ峰尾根」が山頂へとのびている。 また、左斜面下からは、下社・二重滝方面からの道が上ってくる分岐点でもあり、休日には多くの登山者で賑う所でもある。

 昔は、名前の通り茅の茂る尾根で、遮るものもなく眼下に広がる相模平野を望むことができたと言うが、現在は植林された杉林に遮られ、紅葉シーズンの山頂方面から東方に連なる三峰山方面の展望を楽しむのみである。

「勝五郎地蔵」

















「勝五郎地蔵」・道標

















「日向キャンプ場」分岐

















「見晴台」への尾根道

















「見晴台」への斜面

















「見晴台」への最後の登り

















「見晴台」の東屋

















「見晴台」

















「下社・二重滝」道分岐・道標



















2.見晴台から大山山頂(阿夫利神社・本社)へ


■ 見晴台から大山山頂(阿夫利神社・本社)へ

▶ 見晴台から山頂へ台地を一旦緩やかに200mほど下って行くと鞍部になり、そこから急な上り坂が始まる。
 斜面をトラバース気味に登って行くと、途中に2か所ほど岩が露出し、ちょっとした鎖場になっている箇所があるが、難所と言ったほどでもない。

 見晴台から約40~50分、杉の人工林からモミやブナの自然林へと変り、木々の切れ間から眼下に山麓の街並みや、遠く相模湾を望むようになると、木段の途中で右下から「不動尻道」が合流してくる。 あとひと息、ここから山頂まで600メートルと記された道標が後押しをしてくれる。

 木段をさらに上って行くと、程なくして「大山の肩」と呼ばれる平坦な台地状の尾根に着く。木道の敷かれた尾根道を緩やかに少し下ると、山頂への最後の登りが待っている。 

 木段の続く坂を10回ほど曲折しながら上って行くと、急に視界が開け、山頂直下の「東のテラス」に到着。 眼下に相模平野が広がり、さらに遠く新宿の高層ビル群から、横浜、相模湾に突き出たように浮かぶ江ノ島から湘南の海岸線、その奥には三浦半島・房総半島を望む事が出来る。

 さらに木段を僅かに登ったところに、「大山阿夫利神社・奥の院」が建つ、標高1,252mの山頂広場がある。

不動尻道・分岐

















「大山の肩」の木道

















「大山の肩」から最後の登り

















「東のテラス」・木道

















山頂・「東のテラス」からの展望

















台地をもう一段上がり、大山山頂広場へ

















大山山頂



















3.大山山頂(阿夫利神社・本社)から阿夫利神社・下社へ


■ 大山山頂(阿夫利神社・本社)から16丁目・「追分茶屋跡」分岐へ

▶ 山頂からは、再び「東のテラス」まで一旦降り、広場の奥にある「山頂トイレ」横を通り抜けると、山頂北側に建つ電波塔の前に出る。
 ここからは、山頂西側に廻りこむようにして表参道(本坂)、27丁目の「銅の鳥居」へと下る道がある。

 この道は、山頂をぐるりと廻る旧「御中道」跡で防火帯も兼ねていたが、山頂南側の斜面が崩落で立入禁止となっているため、現在は一周することはできない。
 目前には表丹沢の山々があり、さらに西に箱根連山・富士山・南アルプスから北方には秩父の山々を望むことが出来る。

山頂・北側の電波塔

















旧「御中道」跡

















本坂(27丁目・「銅の鳥居」)に合流

















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▶ 27丁目の「銅の鳥居」横に出ると、ここからは本坂(表参道)に合流し、16丁目の「追分茶屋跡」へと下って行く。

 26丁目で本坂唯一の岩尾根を下ると、25丁目の「ヤビツ峠道」分岐を通過、20丁目の「富士見台」を過ぎると、尾根道から南東斜面の樹林の道へと入る。

 17丁目の木道を下ると、16丁目の「追分茶屋跡」に到着。以前は、小台地に山小屋風の茶店があり、缶ジュースやお茶などを売っていたが、今はその建物もなく木製のベンチがあるのみ。 

 台地の南端には、寛政十一年(1761)に再建された大きな道標が建っていて、左側が「阿夫利神社・下社」へ下る「表参道(本坂)」、右側が蓑毛へと下る「裏参道(石尊道)・富士浅間道」に分かれる。

 尚、右の「裏参道・富士浅間道」を下ると、途中の「西の峠」で下社へ迂回する「かごや道」があり、今回はこの道を歩いてみる。

26丁目の岩尾根

















25丁目・「ヤビツ峠道」分岐を左へ

















20丁目・「富士見台」(春霞で富士山見えず)

















17丁目・赤土の木道の下り

















16丁目・追分茶屋跡

















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■ 16丁目・「追分茶屋跡」分岐から「かごや道」経由で「阿夫利神社・下社」へ

▶ 16丁目・「追分茶屋跡」分岐から右の「裏参道(石尊道)」を15分ほど下ると「西の峠」に着く。 峠は大山南尾根の鞍部にあり、「裏参道(石尊道)」と「かごや道」の分岐点になっている。 
 峠から左へ斜面を下って行く道が下社へと至る「かごや道」で、直進して蓑毛へと至る「裏参道(石尊道)」の尾根道を少し上り返したところに「女人禁制の碑」が建っている。 また、峠にある自然石の大石には「御拝殿道」と刻まれている。

 「御拝殿」とは、明治初期の廃仏毀釈により、かつて大山寺・不動堂があった場所に創建された「阿夫利神社・下社(拝殿)」のことで、峠から下社へ通ずる「かごや道」は「御拝殿道」とも呼ばれていたと思われる。


● (かごや道)
 「かごや道」は、下社から16丁目までの本坂の急坂を迂回するように造られた道で、比較的緩やかであったことから、主に年寄りや女性・子供、山駕籠に乗って上る人々に利用され、「かごや道」と呼ばれていたというが、それでも結構急なところもあり、本当にこの道を駕籠で上ったのだろうかと何時も感心させられる。

16丁目「追分茶屋跡」本坂・分岐を右へ

















「裏参道(石尊道)」

















「裏参道(石尊道)」

















「西の峠」裏参道・分岐を左へ下る

















「西の峠」の道しるべ・左へ

















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▶ 峠からは「裏参道(石尊道)」と分かれ、左斜面を「阿夫利神社・下社」へ至る「かごや道」を下って行く。 表参道(本坂)に比べ、今は訪れる人も少なく、沢筋の斜面を通過するために所々ガレ場の様になり、山駕籠で上ったと言う「かごや道」の面影はない。

「かごや道」

















「かごや道」

















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▶ 斜面を15分ほど下った所で、蓑毛方面から「蓑毛越え(蓑毛峠)」を経由して、下社へ向かう「蓑毛道(拝殿道)」に合流する。

 ここからは等高線に沿うように、ほぼ平坦な道を約100mほど行くと、下社から山頂へと上る本坂の登り口となる「登拝門」前にでる。

「蓑毛道」合流

















「蓑毛道」合流・道標

















「蓑毛道・御拝殿道」

















「下社・登拝門」手前

















「下社・登拝門」

















「阿夫利神社・下社(拝殿)」



















4.阿夫利神社・下社から「日向薬師」バス停へ


■ 「阿夫利神社・下社」から「二重滝(二重社)」へ

▶ 「下社(拝殿)」からは、大鳥居をくぐり抜け石段を下りた所で、茶店前を左奥へ入ると、「見晴台」へ向かう「二重滝道」の近道となる入口がある。

 下社から約10分ほど歩くと、「見晴台」への途中に「二重社」の小さな社があり、その奥に岸壁を2段に流れ落ちる滝(二重滝)がある。

「阿夫利神社・下社」大鳥居

















「下社」大鳥居前・石段

















「二重滝道」分岐・石段下の茶店前を左へ

















「二重滝道」入口・茶店の左横奥へ

















「二重滝道」入口・道標

















「二重滝道(日向越え)」・近道合流

















「二重滝道(日向越え)」・道標

















「二重滝道(日向越え)」

















● (二重社・二重滝)
 明治維新までは、大山寺の「倶利伽羅竜王堂」が祀られていた。倶利伽羅竜王は不動明王の化身とされ、竜神あるいは水の神(雨乞いの神)として信仰された。
 明治維新の廃仏毀釈により、「高龗神(タカオカミノカミ)」祭神とする二重社となった。
 「高龗神(タカオカミノカミ)」は、大山山頂にある前社にも祀られており、古くから
水の神、止雨・雨乞いの神として信仰され、京都の「貴船神社(きふねじんじゃ)」が有名である。

 大山も「雨乞いの山」として知られ、二重滝も「雨乞いの滝」とも呼ばれ、農家などの降雨を願う参拝者は、この滝から汲んだ水を雨乞いの御神水として持ち帰ったと言う。
 ちなみに、下社・拝殿の下にある「御神水」は、この「二重滝」上部の湧水を引水したものらしい。

「二重滝道(日向越え)」

















「二重滝」

















「二重社」











          





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■ 「二重滝(二重社)」から「見晴台」へ

▶ 「二重滝(二重社)」から、さらに急斜面を横切るようにして歩道を20~30分ほど上って行くと「見晴台」に到着する。

「日向越え」

















「日向越え」・見晴台へ

















「日向越え」・見晴台へ

















「見晴台」・分岐を右(日向薬師)へ


















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■ 「見晴台」から「日向薬師」バス停へ

▶ 「見晴台」からは、右の東屋風の休憩所横を抜け、稜線を再び「日向薬師」へと下って行く。

「見晴台」・日向薬師へ

















「薬師道」・なだらかな稜線を下る

















「キャンプ場」・分岐

















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▶ 「勝五郎地蔵」を左へ、九十九曲りの斜面を30~40分程下り、「日向林道」(車道)を一旦横切ると右の登山道を下る。

「勝五郎地蔵」から九十九曲りを下る

















「日向林道」に出たところで林道を横切る

















「日向林道」右の登山道を下る

















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▶ 「日向ふれあい学習センター」裏の沢筋に下り、木橋を渡るとその先で再び「日向林道」に出たところが「薬師道」・登山口で、ここからは「日向林道」(車道)を約30分程で「日向薬師」バス停へと下って行く。

 途中、「日向渓谷」沿いをレストラン「クアハウス・山小屋」、石雲寺、浄発願寺と過ぎ、民家が見えてきたところで棚田の広がる坂道を下ると「日向薬師」バス停に到着。

 「日向の里」(かながわの花の名所100選)は、秋の彼岸の頃には満開の彼岸花の赤色で染まる。

「学習センター」裏の沢筋に下り、木橋を渡る

















「薬師道」・登山口

















「日向薬師」バス停へ

















「日向薬師」・バス停