2017年3月30日木曜日

つばめの初見

玉川(2017.03.30)
各地の気象台では、季節の移り変わりを動植物の動向で知ろうとする試みとして、ウメやサクラの開花、ウグイスやヒバリの初鳴き、モンシロチョウやホタルを初めて見た日などの観測を行っている。

 ちょうど今は台湾やフィリピン、マレー半島などで越冬したツバメ(燕)が日本に渡ってくる時期で、今週になり厚木市長谷の玉川周辺でも、ツバメの飛び交う姿が見られる様になった。地球温暖化の影響か、近年、ツバメの飛来する時期が早くなってきた様に思われる。

 穀物を食べずに害虫を食べるツバメは、日本では古くから益鳥として大事にされ、ツバメが巣をつくる家は栄え、商家なら商売繁盛、繁栄と幸福をもたらすとされる縁起のいい鳥でした。

 ちなみに、暦の七十二候(しちじゅうにこう)の第十三候には「玄鳥至 (つばめきたる)」(4/4~4/8頃)という候があり、東南アジアやオーストラリアで越冬した燕が、繁殖のために南からやって来る頃とされ、さらに第四十五候には「玄鳥去(つばめさる)」(9/17~9/21頃)春先にやってきたツバメが、子育てを終え、季節の移り変わりとともに暖かい南へと旅立っていく頃とされている。

 渡り鳥の代表格でもあるこの燕、日本人にとって古くから親しまれていた野鳥ですが、しかし今は、糞害などにより害鳥と見る向きも増え、都市部では見かけることも少なくなった。

 ツバメの仲間は、もともと天敵であるカラスや他の鳥、ヘビなどから身を守るため、崖などの岩場に巣をつくる習性があり、日本では人家や人の出入りの多い建物の軒下や玄関内の鴨居などに営巣する事が多く、人の出入りにより天敵が容易に近づけない、安全な場所であると選んだ結果であり、そこには人とツバメの長い間に培われた信頼関係があればこそと言えよう。 
 また、農村では田植えを控えたこの時期、田に水が引かれ、巣作りの材料となる泥が容易に調達できたことも、要因の一つだったかもしれない。

 ツバメは、毎年同じ場所(巣)に戻ってくると言われている。野鳥でありながら家族のような存在として、巣作りや子育てを見守ってくれている人々の優しい心が、きっとツバメ達にも通じているのだろう。

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田起し間近かい籠堰(2017.03.30)
余談ではありますが、「元始、女性は実に太陽であつた」の文章で知られる平塚らいてう(ひらつか らいちょう)は、明治末にフェミニズム(女性の社会的、政治的、経済的権利を男性と同等にし、女性の能力や役割の発展を目ざす主張および運動)を展開した人であった。

 その平塚が年下の青年画家と恋に落ち、その事が波紋を呼び、結局その青年は身を引くことを決心します。その際、平塚に宛てた手紙には下記のように書かれていた。

 「静かな水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ一羽のツバメが飛んできて平和を乱してしまった。若いツバメは池の平和のために飛び去っていく」

 これを平塚自身が雑誌で公開したため、「若いツバメ」が流行語となり、それ以来、女性の愛人となっている年下の若い男を「若いツバメ」と呼ぶようになったと言う。




 燕(つばめ)は、俳句では春の季語とされ、その他にも、「つばくろ、つばくら、つばくらめ、初燕、燕来る、」などと詠まれる。(初燕は、その年、初めてみる燕をいう。)



「 一番に 乙鳥(つばめ)のくゞる ちのわ哉 」    ( 小林一茶)

「 乙鳥(つばくろ)や 小路名(こじな)の多き 京の町 」 ( 井上井月)

「 丘飛ぶは 橘寺の 燕かも 」       (水原秋桜子)

「 つばくらめ あまりに高く 旅かなし 」  (山口青邨)

「 同じ日の 一つとてなし 初燕 」     (高澤良一)