2017年1月17日火曜日

大山・不動越古道散歩


(コース概要)

 大山・社務局から大山古道(旧坂本道)・イヨリ峠(不動越)を経て秦野へ、大山「社務局入口」バス停を起点に、大山古道(坂本道/小田原道)のイヨリ峠(不動越え)経由で小田急・秦野駅へと至るコース。

 かつては、「大山詣で」の人々が歩いた大山道として、また秦野市寺山(旧寺山村)・小蓑毛と伊勢原市大山(旧坂本村)・子易を結ぶ生活道として利用され、人々の往来も絶えなかったと言う。
 明治時代には、既に「県道・大山秦野線」(大正時代には、県道701号指定の記述あり)として指定されるも、その後の鉄道の発達、車社会の台頭により徒歩による峠越えの山路は次第に利用されることもなく、県道としても忘れられた存在となる。

 現在でも県道701号線(大山秦野線)として道路台帳に記載されているが、伊勢原市大山から秦野市寺山に至る不動越え(イヨリ峠)の峠道(一部林道として舗装整備)は、長年歩く人もなく、夏草に覆われその痕跡さえ消え去ろうとしていたが、近年、地域の人々の努力により、「大山古道」として整備、復活した。
 道は、一部オフロードバイクによると思われる轍が深く、痛々しいところもあるが、散策路として週末には訪れる人も増えてきたように思われる。


(コース)
 1.阿夫利神社・社務局 →(60分/2.5㎞)イヨリ峠(不動越え)
 ・社務局 → 大山古道入口 → 禊の大滝 → 阿夫利林道出合 → 浅間山林道出合 → 水呑地蔵 → イヨリ峠(不動越え)

 2.イヨリ峠(不動越え)→(60分/2.8㎞)県道70号出合
 ・イヨリ峠(不動越え)→ 寺山の大山道道標 → 横畑(久保橋)→ 県道701号迂回路 →  → 県道70号出合

 3.県道70号出合 →(60分/3.5㎞)小田急・秦野駅
 ・県道70号出合 → 藤棚の道標 → 道永塚 → 下落合橋(金目川) → 下宿・矢倉沢往還出合 → 本町四つ角 → 小田急・秦野駅

(所要時間)
・約3時間/歩行距離:約8.8km (休憩含む・時間/距離ともに参考程度とする)

(注意事項)
・峠道につき雨天時には一部泥濘(ぬかるみ)箇所あり。また冬期以外は山ビルに注意。

(備 考)
・記  録:2017年 01月 17日
・アクセス:阿夫利神社社務局(伊勢原駅から「社務局入口」までバス)
     (バスの時刻・料金等は神奈川中央交通HPで確認して下さい)


(動 画)


●YouTube 大山古道・不動越散歩https://youtu.be/5F96r1XQkHY


(大山古道・不動越え散歩みち)





大山古道・不動越え散歩/独案内(2017/01)

1.起点・社務局から「禊の大滝」へ


■ 「社務局入口」バス停から県道沿いに鈴川(大山川)を少し遡ると、右側に赤色の小橋・中央橋(くつわ橋)がある。橋を渡り、路地をぬけ直進すると正面奥が阿夫利神社・社務局である。

●(「社務局入口」バス停から社務局へ)

(「社務局入口」バス停)




















(「社務局」入口)




















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■ 今回は「社務所」を起点とし、伊勢原市と秦野市の境でもあるイヨリ峠を越え、小田急・秦野駅までの約9kmを古道を訪ねて歩く。

●(社務局)
 「社務所」ではなく「社務局」と言う呼び名は珍しいと思われるが、阿夫利神社・社務局は、江戸時代までは大山全山を統括していた大山寺の別当・八大坊の下屋敷があった場所、かっては江戸幕府より大名並みの格式を許され、寺領から上がる年貢米(税)の徴収や、諸々の行政を司る役所的な機能を有していた。

 明治の廃仏毀釈により、別当・八大坊は廃絶されたが、阿夫利神社・社務局として大山町が伊勢原町(後に伊勢原市となる)に合併されるまで、役所として行政業務の一部を継続して担っていた。

(阿夫利神社・社務局)




















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■ 阿夫利神社・社務局を出発し、旧参道(社務局前の坂道)を横切ると、ここより分岐する小田原道(坂本道)の小道に入る。
 先程のバス停から歩いてきた道を戻るようにして再び中央橋(くつわ橋)を渡ると、県道(バス道)の向い側にある「たけだ旅館」入口の左側の小さな沢沿いに「大山古道(小田原道/坂本道)入口」の道しるべがある。

●(旧参道と坂本/小田原道)
 社務局前の坂道が旧参道(大山道)で、かつては石段の続く坂道を、参拝者は徒歩か駕籠にゆられて登っていた。 石段は除かれ車道となったが、道端は昔のままだと言う。
 ちなみに、鈴川(大山川)対岸に県道611号線が整備され、現在の「大山ケーブル」バス停までバスが上ってこられるようになったのは、昭和42年(1967年)のことである。

 旧参道沿いにある米屋(こめや)さんというお店(きゃらぶき、山菜などの佃煮製造販売しているお店であるが、昔は米穀類なども商っていたのであろうか。店舗の裏に立派な蔵が見える)の横の路地(先ほど「社務局入口」バス停から歩いてきた小道)が、坂本道(大山から秦野・寺山方面に向かう場合は、小田原道と呼んでいた)である。

(旧参道と坂本/小田原道の分岐)




















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●(中央橋の小田原道・道標)
 中央橋(くつわ橋)を渡った左際、ガードレールの内側に数基の石造物がある。石の道標としては珍しい六角柱の形態をした道標があり、六面全てに、ここを起点としてそれぞれ目的地までの道程(みちのり)が刻まれている。
 ちなみに、十日市場(現在の秦野市本町・四つ角附近)まで2里(約8km)とある。

(中央橋横の石造物群)




















(六角柱道標)

中央橋の脇にある石造物 (4基)
(六角柱道標)
 嘉永元年建 (西暦1848年)
 ・ やくらさわへ六里  (矢倉沢)
 ・ 道了権現へ七里   (大雄山道了尊) 
 ・ おたはらへ六里   (小田原)
 ・ いひずみへ五里   (小田原市・飯泉観音)
 ・ 十日市場へ二里   (秦野市・十日市場)
 ・ 田はらへ二里    (秦野市・田原)

 その他 (五輪塔)1基・(道祖神)1基・(天社神)1基




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● (「身禊 大瀧」・道標)
 さらに、武田旅館前の県道(県道611号・大山板戸線)沿いの右角にも、正面に「身禊 大瀧」の文字が刻まれた道標が建っていて、右面には「是より小田原道」の文字が刻まれている。
(禊の大瀧・道標)

武田旅館前の県道沿い右角にある道標 (1基)
(小田原道・道標)
 ・ 正 面 「身禊 大瀧」
 ・ 右側面 「是より小田原道」
 ・ 左側面 「享和元年二月」建(西暦1801年)









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●(「大山古道入口」・道しるべ)
 中央橋(くつわ橋)から県道(バス道)を横断したところで、「武田旅館」入口の左側に大山古道の道しるべがある。

(武田旅館前の大山古道入口)




















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■ 旅館前を過ぎ、沢沿いの小道を沢の奥へと入って行く。

●(大山古道)

(旅館前・大山古道)




















(左・大山古道)




















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■ かっては夏草に覆われ薄暗い感じであった小道も、冬の時期と言う事もあってか、木々の間から日差しが差し込み明るく感じられる。
 沢に架かる小橋を渡ると、対岸の岩に刻まれた龍神(蛇形)の祠がある。 話によると古道入口にある「武田旅館」さんが、先祖代々より「蛇の神様」と呼んで祀っているということである。

●(小橋・大山古道)

(小橋・大山古道)




















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●(龍神の祠)
 大山の門前町では、古くより背後の山々から湧き出た沢の水を生活用水の水源としていたこともあり、「水の神様」(水の神・弁才天の化身される蛇形の龍神を祀ることも多いい)として祀っていたのかも知れない。

(龍神「蛇の神様」)




















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■ 道がやや急になった所で、前方に赤い小さな鳥居があり、その奥に「禊の大滝」が見えてくる。(江戸時代の浮世絵に描かれているほどの滝の水量は、今は無いようだ)

●(禊の大瀧)
 大山不動(石尊大権現)の門前町でもある大山には、天保十二年(1841)編纂の「新編相模国風土記稿」によると、別所町の「大瀧」、福永町の「愛宕瀧」、開山町の「良弁瀧」、坂本町の「本瀧(元滝)」の4つの滝があった。
 そのうち、禊(みそぎ)の滝として道中図会や浮世絵などに描かれている滝は、いずれも「大瀧」か「良弁瀧」が多く、その他の滝に関しては明確に記載、描かれたものがなく禊の滝であったかは定かではない。

 禊(みそぎ)の滝とは、神仏に参拝する前に滝の水を浴びて身を浄める水垢離場(みずこりば)の役目をしていた滝の事で、一般的には川や池・湖、海などの特定の場所を水垢離場とし、水(海水)を浴び水垢離を行うことも多く、現在でも祭礼などの年中行事に見ることがある。

(禊の大瀧)




















(禊の大瀧)





















2.禊の大滝からイヨリ峠(不動越え)へ


■ 「禊の大滝」からは、杉林のなかの坂道を上って行くと左側の杉の木の根元に「山の神」の小さな石祠が祀られている。
(14~5年程前に初めてこの道を歩いた時には、「禊の大滝」から先は夏草や倒木で踏み跡さえ分からないような状態であった。)

●(山の神祠)

(山の神)
「山の神」石祠
 ・ 安政六☐☐正月吉日(1860年)
 ・ 宮建立 増田源之進
 ・ 石工人 兼助












●(「禊の大滝」からの大山古道)

(大山古道)




















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■ 「山の神」からさらに杉林の坂道を上って行くと、大山寺に至る「阿夫利林道」のガードレールが見えて来る。 林道に出たところに道しるべがあり、「大山古道」は林道を少し下ったところの右側の林の中へと続いている。

●(阿夫利林道出合)

(阿夫利林道出合で下る)




















(阿夫利林道出合から右に入る)




















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■ 「阿夫利林道」から再び「大山古道」に入った所で、一部オフロードバイクによると思われる轍が深く削られ、やや歩きづらいた場所もあり、特に雨天時には注意。
 以前歩いた時には、夏草と山ビルで難儀をした箇所も、今回は冬期と言う事もあってか、踏み跡もしっかりして、特に迷うこともなく次の「浅間山林道」出合まで抜けることが出来た。おそらく、定期的に下草刈りなどの整備がされているのだろう。
(まだ整備される以前、途中から「浅間山林道」に抜けるルートがわからず、杉林の中を古道の痕跡を探しながら歩き回ったこともあった。)

●(大山古道)

(大山古道・深い轍に雨天時歩きづらい)




















(大山古道・浅間山林道へ)




















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■ 「浅間山林道」に合流する所に石祠と芭蕉の句碑が残されている。ただ句碑は風化による損傷もあり、石に刻まれた文字の判読も既に困難な状態にある。

●(浅間山林道出合)

(浅間山林道出合)




















●(芭蕉の句碑と石祠)

(芭蕉の句碑と石祠)




















(句 碑)
 資料によると本碑に刻まれているのは、松尾芭蕉の句で
 「雲雀より 空にやすらふ 峠哉」    (惣連)

と刻まれているらしいが、損傷甚だしく解読が困難な状態となっている。
 この辺り、今では杉の植林により展望は望めないが、往時はおそらく視界の開けた峠道であったのであろうと想像される。

(浅間山林道をイヨリ峠へ)




















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■ 「浅間山林道」出合からは林道を左へ、舗装された道をイヨリ峠へ向かう。(林道を右に行くと「阿夫利林道」に出る)

●(浅間山林道)
 「浅間山林道」は、「阿夫利林道」から分岐して蓑毛方面へと至る林道で、舗装されてはいるが、林業作業用道路で一般車両の通行は出来ない。

(浅間山林道)




















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■ 林道をイヨリ峠へと向かう途中、右側に「水呑地蔵」と呼ばれている数基の石造物が保存されている。

●(水呑地蔵)
 かつては枯れることのない湧水が小さな沢筋にあり、里人や「大山詣」で行き交う人々の喉の渇きを潤したといわれるが、今はその痕跡もない。

 現在は、林道横に数基の石仏、庚申塔、供養碑などがあり、その右端にある石仏の台座の部分には、中央に大きく「いほりこへ」とあり、さらにその左右には、「右 小田原 道了道」「左 大山 大瀧道」と刻まれている。
 道しるべとしては、左右の方角が逆であることから、おそらく「いほりこへ=イホリ越へ」すなわちイヨリ峠(不動越え)付近の道の反対側にあったものが、林道建設・改修の際にまとめてこの場所に集合・保存したものとも想像される。
 また、その背後にある庚申塔には「?小田原ミち」の文字が辛うじて読み取れる。

(水呑地蔵・石塔群)




















(水呑地蔵・石塔群)




















(水呑地蔵・道標)
(水呑地蔵・道標/台座)
 ・ 右 小田原 道了道
 ・ いほりこへ
 ・ 左 大山 大瀧道

(庚申塔)
 ・ ☐小田原ミち










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■ 「水呑地蔵」から程なく、この峠道の最高地点と思われる尾根筋の、林道が大きくカーブする所に旧峠道(大山古道)の分岐点がある。 林道横に道しるべがあり、古道は左の林の中へと入って行く。

●(イヨリ峠入口)

(浅間山林道・イヨリ峠入口)




















● (不動越え大山古道)

(イヨリ峠・不動越え大山古道)





















3.イヨリ峠(不動越え)から県道70号出合へ


■ 「浅間山林道」から林の中の峠道(大山古道)に入り、少し下ったところに、不動明王座像を頂く大山道道標が建っている。 以前は半分に折れた石塔が道端の茂みの中に埋もれるように放置されたままであったが、「大山古道」が復興されることを期に、不動明王道標も立派に修復され、峠のシンボルとして復活していた。

●(不動越え・いより不動明王道標)
 「不動越え(峠道)」の名は、この道標に由来するものであろうか。現在は、伊勢原市と秦野市の市境となっている。

(不動明王道標と不動越え)




















(不動明王道標)
 ・ 上 部 不動尊座像
 ・ 正 面 以与り(いより)不動明王
 ・ 右側面 此の方 大山町 こやす村 道
 ・ 左側面 此の方 いゝすみ 小田原 道

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■ 不動明王道標をさらに下った所に、「大山古道」の分岐がある。現在、尾根筋の道は、弘法山・高取山方面から浅間山・大山山頂へ至る登山道の一部ともなっており、「大山古道」は、ここで右側の斜面を山麓の「寺山」方面へと下って行くことになる。

●(不動越え・分岐)

(不動越え・寺山方面へ)




















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●(花嫁も医者も通った大山道)
 かって秦野市寺山と伊勢原市大山を結ぶ峠道は、近在の生活道路として、大山へ買い物に行ったり、大山夏山の繁忙期には手伝いの女性たちが毎日のように通い、大山に1軒しかなかった医者は馬に乗り峠を越えて往診、花嫁も馬に乗って大山にお嫁入り、また旧東海道・小田原、国府津方面から大山へ参拝する大山道として、行き交う人々も多かったと言う。
 明治・大正時代に神奈川県の県道として指定されるも、その後の鉄道・車社会の到来により峠道を往来する人々の姿も何時しか遠ざかり、幻の県道701号線(大山秦野線)と言われるようになる。

(大山古道・峠越え)



 
















(ゴルフ場横の大山古道)




















(林道分岐)




















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■ 峠からは、高取山・西山麓に広がるゴルフ場横の道を沿うようにして寺山へと下って行く。

●(寺山の大山道標)
 峠道を下り、麓の「横畑集落」に入る手前の林の中に、江戸時代に建立された大山道道標が、地元の人により今も大切に守られている。

(寺山の大山道標)




















(大山道・道標)
(大山道・道標)
 ・ 上 部 不動尊座像
 ・ 正 面 右 大山道
 ・ 右側面 供養塔
 ・ 左側面 文政三年庚辰年七月吉祥日
      (西暦1820年)















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■ 峠道も終わり、麓の「横畑集落」の中丸沢に架かる久保橋を渡ると道しるべがあり、左へ県道701号を下って行く。

●(横畑集落・久保橋)

(横畑集落・久保橋)




















●(久保橋の道しるべ)

(久保橋の道しるべ)




















●(横畑集落・県道701号線)

(横畑集落・県道701号線)




















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■ 「横畑集落」を過ぎた県道701号(大山古道)は、途中で「新東名高速道路」の建設工事により現在通行禁止となっているため、迂回路の案内板に従い県道を一旦離れ、左折して市道212号へ迂回する。 道は、約800ⅿほど下ったところで再び県道701号(大山古道)の出口側に合流すことになる。

● (県道701号・迂回路)

(県道701号・迂回路)




















●(市道212号・そば処「石庄庵」附近)

(市道212号・そば処「石庄庵」附近)




















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■ 県道701号(大山古道)の迂回路合流点から県道70号の出合までは、かっての山間の狭い道も改修工事により拡張され、周囲の風景もすっかり変ってしまっていた。
 県道701号を下り、蓑毛からくる県道70号(秦野清川線)に合流する三叉路に、「大山古道入口」(坂本道)の道しるべが立っている。

●(県道701号・迂回路合流)

(県道701号・迂回路合流)




















● (県道70号出合)

(県道70号出合)




















●(県道70号出合・「大山古道入口」)

(県道70号出合・「大山古道入口」)





















4.県道70号出合から小田急・秦野駅へ


■ 県道70号(秦野清川線)を秦野市内へと向かうと、「藤棚」バス停手前の三叉路に「藤棚の道標」(蓑毛道分岐)があり、左へ蓑毛道が分かれている。

●(県道70号出合) 

(県道70号線へ合流)




















●(藤棚の蓑毛道分岐)

(藤棚の蓑毛道分岐)
(道標)
・さか本
    道
・ミの毛
















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■ 藤棚バス停を過ぎ、県道70号をさらに下ると、緩やかな下り坂の途中、右側に道永塚(どうえいづか)がある。 坂本道はここで県道を右折し、小高い丘に立つ道永塚の前の小道を通り、畑地の中の一本道を行く。「道永塚」は7世頃の古墳時代の墳丘跡と言われ、「道永塚古墳群」として周辺の畑地からも数基の古墳が確認されている。

●(旧坂本道・分岐)
 県道が緩やかに左へと曲がる坂道の途中で、右の小高い丘に立つ桜の木の下に坂本道の案内碑と道永塚の石碑がある。

(旧坂本道・分岐)




















●(旧坂本道・道永塚)
 明和八年(1771年)に建立された「道永塚」と呼ばれる石碑があり、「薦福記(せんぷくのき)」と題された碑文が刻まれている。古くは「道永墓」があり、夜々不思議な火が起滅した事から、村人達が相談して供養塔を建て、長く供養していくことにしたところ、怪火が迷い出ることも無くなったと言う。
 また「道永墓」については、昔、道永という修行僧が、大山寺(現在の大山阿夫利神社)を恨み、放火して逃げてきたところが村人たちに捕らえられ、この地に生き埋めにされたと言う話や、古戦場跡であったこの地に葬られた武士の墓があったなどの話も聞かれるが、いずれも定かではない。
 周辺の畑地からは、古墳時代の墳墓から直刀、鐸、馬具なども出土していたこともあり、昔の人々は色々な憶測を含め、想像豊かに語り継いできたのかも知れない。

(旧坂本道・道永塚)




















●(坂本道と大山)

(坂本道より大山を望む)




















(坂本道・羽根尾道)




















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■ 道永塚から丘陵を下ってくると、「国立病院入口」交差点の先で国道246号の高架下を通過し、左折すると金目川に架かる「下落合橋」に出る。
 橋を渡りさらに、S字カーブの坂道を上って行く途中で、左の住宅地の中へと入る小道が坂本道・羽根尾道である。

●(国道246号高架下) 

(国道246号高架下)




















●(下落合橋・金目川)

(下落合橋・金目川)




















●(坂本道)

(坂本道)




















●(左折し住宅地の小道へ)

(坂本道・住宅地の小道)




















●(住宅地の坂本道)

(住宅地の坂本道)




















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■ 住宅地の小道を抜け、県道704号(旧矢倉沢往還)に出たところが「下宿」バス停で、その手前の電柱の陰に壊れかけた庚申塔があり、左面に大山道、右面にいせ原道と刻まれている。
 
●(下宿・矢倉沢往還出合)
秦野は矢倉沢往還の宿場でもあった。

(下宿バス停・矢倉沢往還出合)




















(庚申塔・道標)
(庚申塔・道標)
・正面 庚申塔
・右面 右いせ原道
・左面 左大山道












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■ 県道704号(旧矢倉沢往還)を「本町四ツ角」で左折、県道705号(羽根尾通り大山道・羽根尾道)に入り、次の「片町通り」交差点で「羽根尾道」と分かれ右折すると、小田急・秦野駅前である。今回は秦野駅を終点とする

●(本町四つ角交差点)
 秦野は江戸時代中期以降、四つ角を中心に十日市場の街として発展、江戸時代後期になると葉タバコの生産拠点として栄え、十日市場もその取引地としても賑わった。
 現在でも四つ角交差点周辺には、古い商店や蔵などの歴史的建物が残されている。

(秦野市本町四つ角・十日市場)




















(本町四ツ角交差点)














●(片町通り交差点を秦野駅へ)

(片町通り交差点)




















●(小田急・秦野駅)

(小田急・秦野駅)