2016年6月2日木曜日

七沢・鐘ヶ嶽散歩


(コース概要)

(厚木市七沢の奥、信仰の山・鐘ヶ嶽を経て、広沢寺へ)

 厚木市の七沢にある鐘ヶ嶽は、近在の人々以外にあまり知られていないが、低山(標高561m)ながら、名前が表すようにその山容は独特な風格を持つ。
 山頂には、富士・浅間信仰の社である浅間神社(現・七沢神社)があり、山頂へと続く参道は「せんげん道」と呼ばれ、信仰の山として今もその面影を残している。

 山頂からは、神ノ山峠を「二の足林道」へと下り、広沢寺(広沢寺温泉)を経て、「七沢温泉入口」バス停へと下っていきます。


(コース)
1.「広沢寺温泉入口」バス停 →(70分/3.2㎞)鐘ヶ嶽山頂(浅間神社)
 ・「広沢寺温泉入口」バス停 →  → 鳥居場 → 上杉公内室の墓 → 鐘ヶ嶽山頂(浅間神社)

2.鐘ヶ嶽山頂(浅間神社) →(70分/3.8㎞)広沢寺(広沢寺温泉)
 ・鐘ヶ嶽山頂(浅間神社) → 山ノ神峠 → 「二の足林道」 → 広沢寺(広沢寺温泉)

3.広沢寺(広沢寺温泉) →(40分/2.5㎞)「七沢温泉入口」バス停
 ・広沢寺(広沢寺温泉) → 「河鹿の沢」バス停・分岐 → 「七沢温泉入口」バス停

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(所要時間)
・約3時間/歩行距離:約9.5km (時間/距離ともに参考程度とする)

(備 考)
・記 録:2016年 05月 08日
・アクセス:始点 : 「広沢寺温泉入口」バス停
      終点 : 「七沢温泉入口」バス停
     (バスの時刻・料金等は神奈川中央交通HPで確認して下さい)


(動 画)


● YouTube 七沢・鐘ヶ嶽散歩https://youtu.be/T3RqZE__gSE


(七沢・鐘ヶ嶽散歩みち)




 七沢・鐘ヶ嶽散歩/独案内(2016/05/08)

1.起点・「広沢寺温泉入口」バス停から鐘ヶ嶽山頂(浅間神社)へ


● 「鐘ヶ嶽(かねがたけ)」

鐘ヶ嶽
鐘ヶ嶽は、厚木市七沢にある標高561mほどの低山。近在の人以外にはあまり知られていない山だが、その山容が釣鐘を連想させることから「その昔、竜宮から引き上げた鐘をこの山に収めたとか、戦国時代、麓にあった七沢城への合図の鐘が置かれていた」等の伝説を持つ。

 浅間山(せんげんさん)とも呼ばれ、山頂直下には古来、富士山・浅間信仰の神を祭る浅間神社(現・七沢神社)があり、養蚕・子宝・安産の神としても信仰されてきた。

 (参道登り口の「鳥居場」(1丁目)から山頂(28丁目)まで、1丁目毎に石仏・石塔が置かれ、訪れる人を和ませていたが、4~5年前には何者かにより故意に破壊された事件もあり、非常に残念である。)

                    
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■ 起点・「広沢寺温泉入口」バス停

▶ 起点は県道64号にある「広沢寺温泉入口」バス停。ここから県道を宮ケ瀬方面へ少し歩いたところで左折、左の高台へと坂道を登って行く。

「広沢寺温泉入口」バス停
県道を左折














▶▶ 高台へ上ったところに「足ヶ久保」の集落があり、平日は朝・夕2本しか通らない「鐘ヶ獄」バス停がポツンとある。(余談ではあるが、バス停名が何故か「嶽」ではなく「獄」になっているのは何か意味があるのだろうか。)バス停の先で道は二手に分かれ、「鐘ヶ嶽」へは右側の「せんげん道」をいったん下る。 ちなみに、左は「広沢寺」方面へと通じる道である。

「鐘ヶ獄」バス停
せんげん道

















~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■ 「鳥居場」・参道入口(一丁目)

▶ 「足ヶ久保」の集落の外れ、林道の坂道を登る途中で左側に石段が現れる。ここが「鳥居場」と呼ばれるところで、階段を上がったところに、石の鳥居がある。
 山頂の「浅間神社(現・七沢神社)」へと続く参道の1丁目にあたり、かってはここからお椀を伏せた様な形の山頂が望めたが、現在は植林された杉林で遮れている。

「鳥居場」・登山道入口
「鳥居場」







ハイキングコース・標識
















▶▶ 鳥居をくぐると道は急に細くなり、桧・杉林の中を登って行く。

● 獣害防護柵(電気柵)

 新しく獣害防護柵(電気柵)が設置されていた。近年、東丹沢周辺の山々でも、野生動物の保護が勧められた結果、鹿やイノシシ等のこれら野生動物が増えるに従い、山麓の田畑や山林などの農作物・植生被害も増え、大山山麓でも獣害防止対策として新しく電気柵を設置する工事が行われている。
 
獣害防護柵
電気柵・扉


電気柵・扉




















▶▶▶ 獣害防護柵の扉をくぐり、頂上の浅間神社までの丁目を示す石標(丁石)を数えながら、のんびりと登って行く。
 丁石には、それぞれ菩薩や、如来、不動などの石像が安置されていた。だが、4~5年前に何者かによって故意に破壊される事件があり、その後地元の人々の多大なる尽力により、破壊された仏を探し、その多くが修復されていたが、その姿は痛々しく悲しい。 訪れるたびに優しく微笑んで迎えてくれていたあの仏達の姿が、今は悲しみに満ちた姿に見えてくる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■ 上杉定正公・正室の墓(十三丁目)

▶ 八丁目を過ぎた辺りから、杉や桧の人工林から次第に雑木の混在する林へと変わっていく。十三丁目では、少し寄り道をしてコース標識に従い左の林の中を2~3分下って行くと、「上杉定正公・正室の墓」と伝わる石碑(供養塔)がある。

 戦国時代、七沢城主・上杉定正公奥方「鶴姫」の墓と伝えられている。墓碑には「長皎院孤月了円大禅定尼 當所城主上杉定正公奥 延徳三辛亥年八月廿三日」と刻まれ、石仏には「為上杉定正公夫妻之供養」と刻まれている。
 一般に「大禅定尼」は、女性の戒名に付けられる位号で、延徳三年(1491年)8月23日は、その命日となる日付けと考えられる。

 これらの供養塔は、麓の広沢寺・住職により建立されたものと言われ、旧七沢村・村誌によれば、戦国時代、七沢城の落城の際に鐘ヶ嶽山中に逃れた鶴姫がこの地で自害したことから、この周辺の沢を「自害沢」と言うとある。これが史実かは定かではないが、広沢寺には鶴姫のものとされる位牌が残されていると言う。

 因みに、上杉定正(うえすぎ さだまさ)とは、扇谷上杉家の当主で、相模国守護大名として相模の糟屋館(現・神奈川県伊勢原市糟屋とされるが、その場所は諸説あり、現在まで館跡などの遺構も見つかっていない)を居館としていた。
 上杉一族は京都の公家(中級貴族)を祖とし、鎌倉時代後期、鎌倉へ下向して武家(軍事貴族)となる。その後一族は 山内・犬懸・宅間・扇谷の諸家(家名はそれぞれの屋敷があった鎌倉の地名に由来)に分家、室町時代中頃の扇谷上杉家の 定正の時代には家臣・太田道灌の補佐のもと勢力を拡大し、上杉一族の宗家・山内上杉家と関東管領の座をめぐって争うほどの勢力となっていた。

 文明18年(1486年)、扇谷上杉家の重臣であった太田道灌が、謀反の疑いで糟屋館において主君上杉定正により暗殺される。
 明応3年(1494年)、武蔵国での勢力拡大を狙い、武蔵国・高見原において山内上杉家・関東管領軍と対陣するも、荒川を渡河する際に落馬して死去。享年49と言われている。その後、扇谷上杉家は、伊勢宗瑞(北条早雲)らの台頭により徐々に所領を侵略され、衰退してゆく。

左に上杉公・正室の墓
上杉公・正室の墓














▶▶ 「七沢自然ふれあいセンター」・分岐を過ぎると、十五丁目の石仏(勢至菩薩)と十五丁目石がある。一時期、ここの石仏も台座から上の部分がなくなっていたが、なんと今回登った時には、石仏が元のままに戻っていた。(左下の斜面にでも投げ捨てられていたのだろうか。)

● 勢至菩薩(十五丁目)

自然ふれあいセンター・分岐
十五丁目の石塔・石仏














● タマネギ石(別名・ぼたん石)

 十五丁目を過ぎたあたりから、足元にまるでタマネギの皮をむいたような岩を見つけることができる。牡丹の花びらのようにも見えることから「ボタン石」とも呼ばれ、地表に出た凝灰岩の表面が風化していく過程で形成されたものと言われている。
 東丹沢の大山周辺に多く見られ、日向薬師の参道や、大山山頂に至る参道でも見る事が出来る。

タマネギ石
タマネギ石














● 石仏(二十丁目)

二十丁目の石仏
二十丁目の石碑ハイキングコースの左斜面にある岩の後を廻りこむようにして上がると、岩の上に石仏がある。
 訪れる度にご挨拶をする四角い頭をした素朴な石像だが、ここも被害にあったのか、首には補修材が白く塗られていた。















~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■ 大山遥拝所(二十二丁目/仮称:天狗の踊場)

▶ 二十二丁目で視界が開け、岩尾根へ出る。勝手に「天狗の踊場」と名付けた場所、天気の穏やかな日は、ここでひと息入れと、山頂までもう少し。

大山遥拝所(仮称:天狗の踊場)
大山遥拝所(仮称:天狗の踊場)














▶▶ 二十六丁目から所々に石段が現れると、二十七丁目からは本格的に長い石段の登りとなる。山頂直下の神社まで、総数三百五十段以上の石段が続く。(これだけの石材をここまで運び上げたことに、感心させられる。)

● さらに石段は続く(二十八丁目)

二十八丁目上の石仏が置かれた岩
二十七丁目からの石段

















● 別当・禅法寺跡

禅法寺跡(別当寺)
二十八丁目を過ぎた石段の途中、石仏のある岩の右奥に、禅法寺跡(別当寺)がある。
 「鐘掛山 尊聚院」と号す天台宗のお寺で、伊勢原市日向の「一の沢・浄発願寺」の末寺でもあった。
 今は杉林の平坦地に、それを示す石碑が建っているだけで、思いをめぐらすものは何もない。








▶▶▶ 石段は二十八丁目過ぎ、さらに上へと続く。禅法寺跡を過ぎると、ようやく石の鳥居が見えてくる。鳥居をくぐり、最後の石段を登ると浅間神社(七沢神社)である。 
 
● 浅間神社(現・七沢神社)
  神社の創建については不明であるが、別当寺であった禅法寺の僧・宥映が、元禄二年に記載した縁起によると、創建は第8代孝元天皇の御代(神代の時代)とされ、定かではないが、室町時代に七沢城を居城としていた上杉定正により社殿の造営が行われたとの記載がある。

 祭神は、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・大山祇命(おおやまずみのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと)の三神が祀られている。
 明治維新の神仏分離令の後の明治六年(1873年)、浅間神社に旧七沢村の鎮守社であった八幡社と山王社(日枝神社)を合祀して「七沢神社」と改め、現在に至っている。

浅間神社・鳥居
浅間神社(七沢神社)








浅間神社















2.鐘ヶ嶽山頂(浅間神社)から広沢寺(広沢寺温泉)へ


■ 鐘ヶ嶽山頂

頂上には古びた石造の不動明王像が2体あり。

山頂・道標
「鐘ヶ嶽」・山頂







不動尊像















● 山頂から山ノ神峠へ

急斜面のトラバース
「山ノ神峠」








「山ノ神峠」・道標














● 山ノ神峠から「二の足林道」・出合へ

「二の足林道」・出合
「山の神隧道」















● 「二の足林道」

「二の足林道」・ゲート
大沢林道・分岐








大沢林道・分岐













● 「二の足林道」

広沢寺・茶畑
「愛宕社」前















● 広沢寺

広沢寺
広沢寺・入口
















3.広沢寺(広沢寺温泉)から「七沢温泉入口」バス停へ


● 「河鹿の沢」バス停・分岐 

「河鹿の沢」バス停・分岐
ハイキングコース・道標















● 「川久保橋」・分岐

「川久保橋」・分岐
「川久保橋」















● 旅館「盛楽苑」横・分岐

旅館「盛楽苑」横・分岐
「関東ふれあいの道」・道標















● 「七沢温泉入口」バス停

県道・出合
「七沢温泉入口」バス停