2016年5月20日金曜日

聖峰・弘法山散歩


(コース概要)

(三ノ宮・比々多神社から聖峰を経由し、弘法山へ)

(「三ノ宮・比々多神社」を起点として、聖峰不動尊(聖峰山頂)を目指し、さらに高取山から弘法山へと向かい、「小田急・東海大学前駅」へと下る。)

 前半は、三ノ宮・比々多神社から、栗原集落を抜けると聖峰山頂にある不動尊を訪ね、さらに高取山へと向かう。
 後半は、高取山から念仏山を経て、旧矢倉沢往還の善波峠へ下ると、緩やかな尾根道を弘法山山頂の釈迦堂(しゃかんどう)へと登り返し、「小田急・東海大学前駅」へと下って行く約4時間の散歩。
 

(コース)
 1.「三ノ宮・比々多神社」 →(65分/2.7㎞)聖峰不動尊(聖峰山頂)
 ・「三ノ宮・比々多神社」 → 栗原大橋 → 保国寺 → 林道分岐 → 聖峰登山道 → 九十九曲 → 聖峰不動尊(聖峰山頂)

2.聖峰不動尊(聖峰山頂) →(45分/1.5㎞)高取山
 ・聖峰不動尊(聖峰山頂) → 弘法山・分岐 → 高取山

3.高取山 →(90分/3.8㎞)弘法山
 ・高取山 → 弘法山・分岐 → 念仏山 → 善波峠 → 鶴巻温泉・分岐 → 弘法山

4.弘法山 →(40分/2.8㎞)小田急・東海大学前駅
 ・弘法山 → 東海大学前駅・下山道 → 弘済学園 → 東名高速陸橋 → 東海大学前駅・分岐(井戸窪バス停) → 小田急・東海大学前駅

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(所要時間)
・約4時間/歩行距離:約10.8km (時間/距離ともに参考程度とする)

(備 考)
・記 録:2016年 05月03日
・アクセス:三ノ宮・比々多神社(伊勢原駅から「神戸」までバス)
     (バスの時刻・料金等は神奈川中央交通HPで確認して下さい)


(動 画)


●YouTube 聖峰・弘法山散歩https://youtu.be/5Lc0GO5JmlM


(聖峰・弘法山散歩みち)




聖峰・弘法山散歩/独案内

1.起点・三ノ宮・比々多神社から聖峰・不動尊へ


■ 三ノ宮・比々多神社の鳥居前から神社境内左横の車道を直進、東京農大・伊勢原農場前を過ぎると、栗原川に架かる「栗原大橋」(大橋と言うほどの橋ではないが?)の手前に、聖峰不動尊の案内板が見えて来る。
 「栗原大橋」を渡り直進、栗原(くりばら)集落の緩やかな坂道を上って行くと、程なく道は丁字路になり、ここで左に折れると坂道を保国寺前へと登って行く。

● 三ノ宮・比々多神社
 
 三ノ宮・比々多神社は、相模国五宮(一之宮・寒川神社、二之宮・川勾神社、三之宮・比々多神社、四之宮・前鳥神社、五之宮格・平塚八幡宮)の一つに数えられ、社伝によると2600年以上前の初代「神武(じんむ)天皇」の6年(紀元前655年)、相模国の霊峰大山を神体山(しんたいざん)として豊国主尊(トヨクムヌノミコト)を日本国霊(にほんこくれい)として祀(まつ)ったことにはじまるといわれている。

 神社周辺からは、約1万年以上前の縄文時代中期の祭祀跡とも言われている環状配石(かんじょうはいせき=ストーンサークル)や、その後の古墳時代の墳丘墓が多く確認されている。
 ちなみに比々多神社の古社は、少し北西寄りの埒面(らちめん)古墳跡(現・恵泉女学園園芸短期大学内周辺)にあったと言われ、室町時代の明応年間に戦火により失った社領を天正年間に現在の地に小社を建てて遷座したと言われている。

(三ノ宮比々多神社)




















●(比々多神社の鳥居前から、境内左側を栗原へ)

(比々多神社・鳥居前)




















●(「栗原大橋」手前の聖峰不動尊の案内板)

(「栗原大橋」と聖峰不動尊の案内板)




















●(聖峰不動尊の案内板)

(聖峰不動尊の案内板)




















●(丁字路を左折、聖峰へ)

(栗原集落・丁字路)




















●(保国寺門前の坂道を直進)
 
(保国寺門前の坂道)




















●(保国寺)

(保国寺)




















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■ 保国寺を過ぎると、道は林道の様相となり次第に傾斜を増してくる。途中の「林道・分岐」で右へと上って行くと、前方に聖峰の山頂が見えて来る。

●(坪ノ内バス停・分岐を直進)

(坪ノ内バス停・分岐)




















●(林道・分岐を右へ)

(林道・分岐)




















●(聖峰山頂が見えて来る)

(聖峰山頂)




















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■ 林道の坂を上りきった所に聖峰・登山道入口の表示がある。道は左斜面の林の中へと入ってゆく。山頂直下にある「九十九曲」の急斜面を登って行くと、眼下に相模湾が広がってくる。山頂前の広場ではこの日、不動尊の祭りが行われていた。

●(聖峰・登山道入口)

(聖峰・登山道入口)




















●(聖峰山頂からの展望)

(聖峰山頂の展望)




















●(聖峰・不動尊)

(聖峰・不動尊)





















2.聖峰・不動尊から高取山へ


■ 聖峰山頂からは、アップダウンの続く尾根道を行くが、展望はあまりなく、最後に急斜面を登り切った所に、高取山と弘法山の分岐がある。分岐からは一旦、右へ高取山山頂を目指す。分岐から10分ほどで高取山山頂に到着。

●(高取山/弘法山・分岐)

(高取山/弘法山・分岐)




















●(高取山/弘法山・分岐)
 
(高取山/弘法山・分岐)




















●(高取山・山頂)
 標高:556m、ここから更にイヨリ峠(不動越え)を経由し、浅間山、蓑毛・大山方面へと続く。山頂にはNHKの電波塔もあり、木々に囲まれ僅かに伊勢原市側が望める。

(高取山・山頂)












 








3.高取山から弘法山へ


■ 高取山から再び、聖峰/弘法山・分岐まで戻ると、弘法山方面(3.8km)へと下って行く。途中の念仏山山頂へ登り返した後は、次の善波峠までひたすら下って行くことになる。

●(念仏山)
 標高:357m、名前の由来は、かつてこの山頂で麓の旧・名古木村(現・秦野市名古木)の人々により念仏講が行われていたことに由来するものか。昭和15年頃(1940年)まで行われていたという。「南無阿弥陀仏」と唱える声は、山裾の集落まで聞こえたと言う。

(念仏山)




















●(念仏講跡)
 山頂奥の平坦部に、石仏が数基、夏草に覆われるようにひっそりと佇んでいる。

(念仏講跡)




















●(善波峠)
 善波峠は、伊勢原市と秦野市の境にある「旧矢倉沢往還」の峠で、江戸時代には江戸城・赤坂御門から青山・海老名・厚木・伊勢原・善波峠・曾屋(十日市場)・千村・松田惣領・関本などを抜け、足柄峠を越えて駿河の沼津宿で東海道につながる東海道の脇往還として重要な役割を果たしていた道であり、その役目は、国道246号に受け継がれていて、現在は、この峠の下をトンネルで越えてゆく。

(善波峠)




















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■ 峠からは、御夜塔のある斜面を登り、尾根沿いに進むと鶴巻温泉方面から弘法山に至るハイキング道に合流する。道は右へ、「関東ふれあいの道」を弘法山までは約1kmほどの距離となる。

●(御夜塔・おんやとう)
 峠道の反対側の斜面上に、江戸時代・文政十年(1827年)に建てられた御夜塔(常夜塔)が保存されている。風化により原型を留めていないが、峠を越える旅人の安全のために明治時代末期まで峠下の住民により灯し続けられていたと言う。

(御夜塔)
(説明板)





















●(関東ふれあいの道/国道264号・分岐)

(関東ふれあいの道/国道264号・分岐)




















●(釈迦堂・しゃかんどう)
 弘法山山頂は、広場になっていて、御堂や、鐘楼、また休憩用のベンチなどが置いてある。 
 「弘法山」の名は、この地で弘法大師(空海)が修行したと言う伝説に由来すると言われ、古くは「福泉庵(ふくせんあん)」と言う小堂があったが、その後、荒廃していたものを、江戸時代中期に山麓の龍法寺の僧・永芳(えいほう)が釈迦如来像と弘法大師像を祀り、「釈迦堂」としたのが始まりと言われる。
 その後の火災や、災害(関東大震災や台風)により長らく仮堂であったが、昭和39年に現在のお堂が建てられ、僅かに残った弘法大師像(木像)のみが安置されている。
 また、「釈迦堂」の後部には、鎌倉時代後期と思われる「経塚」跡も確認されている。

 かつて、真言密教(真言宗)が日本全国に広まって行った過程で、このような弘法大師伝説も、日本中に数多く語り継がれて行ったのかもしれない。ちなみに、弘法山と関係深い「龍法寺」も、古くは「真言宗」の寺であったが、室町時代に現在の「曹洞宗」に改宗したと言う。

(釈迦堂・しゃかんどう)




















●(弘法の乳の井戸・伝説)
 山頂広場に、「 乳の井戸」と呼ばれる井戸がある。言い伝えでは、この井戸から湧き出た水は白く濁り、乳の香りがしていたという。いつの頃からか、「この井戸の水を飲むと乳がよく出るようになる」と言われ、この水を求めて真夜中に、人知れず山に登る人が後を絶たなかったといわれている。また「この水で粥を焚き食せば乳の出がよくなる」との言い伝えもあり、昭和30年頃までは授乳期の母親や妊婦が、遠方からも水を求めて訪れたとも言う。 他にも眼病に効果があるなどの言い伝えもある。

 現在は、井戸の横に手押しポンプが設置されていて、今でも水が出ている。いずれにしても、山頂部にこれほどの地下水源があること自体が不思議に思われてしまう。

 弘法大師の湧水伝説は、全国に数多くあり、ここ秦野市でも他に秦野駅の近くに「弘法の清水」と呼ばれる湧水が知られている。

 (弘法山・乳の井戸)




















●(鐘 楼)
 鐘楼は、山麓にある龍法寺の4世・梅禅上人らの発願で、周辺の村々の人たちによる寄進により、宝暦7年(1757年)に建立された。その後、山火事などにより焼失したが、享和元年(1801年)に再建、当時から「時をつげる鐘」として、また災害時には「災害の発生を知らせる鐘」として麓の人々に親しまれ、昭和31年頃まで毎日、時の鐘が搗き続けられてたと言う。ちなみに、現在の鐘楼は、幕末の慶応3年(1867年)に再建されたものと伝わる。

 「夕焼け小焼けで、陽が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る・・・」と、童謡「夕焼け小焼け」でも歌われたように、朝に夕に聞こえる鐘の音は、日本的風景に溶け込むように、どことなく情緒があっていいと思うのだが、どこかのニュースで「除夜の鐘」の音がうるさいとか、盆踊りの歌がうるさいとか言うクレームで、中止になったとか言う話題を耳にすると、この国もなんだかつまらない国になってしまうのかな、などとも思ってしまう。

(鐘 楼)







  













4.弘法山から小田急・東海大学前駅へ


■ 弘法山から終点の小田急・東海大学前駅への下山道は、「鐘楼」の左側奥にある斜面を下って行く。ほどなく「弘済学園」前に出ると、ここでハイキング道は終わり、一般道路となる。(途中で分れ道がいくつかあるので間違わない様に注意して下る。)
「弘済学園」横の道を直進、畑の中の細い道を抜けたところで「東名高速道路」上を横切るように陸橋を渡り、右へ150mほど下った次の交差点を左折し、坂道を下ったところで「井戸窪」バス停へ出る。

 「井戸窪」バス停前からは、小田急線の線路に向い左へ約800m/10分程歩くと終点の「東海大学前駅」に到着。

●(「東名高速道路」手前の畑道)

(「東名高速道路」手前・畑道)




















●(「弘済学園」入口/「井戸窪」バス停・分岐に出る)

(「弘済学園」入口/「井戸窪」バス停・分岐)




















●(小田急・「東海大学前」駅)

(小田急・「東海大学前」駅)