2015年7月29日水曜日

空蝉の世わたる橋や夢のうきはし

アブラゼミの空蝉 2015.07.29
梅雨が明け、いっせいに蝉の声が聞かれるようになると、本格的に夏がやってきたという感じになる。 春に桜が咲くように、秋に木の葉が散るように、夏を連想するものは、ギラギラと照りつける太陽と入道雲、そして蝉の声であろう。

 蝉もあまりに暑いと鳴かないなどと言われているようだが、そんな事はないようで、連日の猛暑にもかかわらず、蝉時雨(せみしぐれ)の聞こえる近くの雑木林の中などは、日中でも意外と涼しい風が吹き抜けている。

 日本には約30種類ほどの蝉が生息していると言われ、その一生は、卵から翌年の梅雨時に孵化し、すぐに地中へと潜ると約3年~十数年間(蝉の種類によって異なる)を幼虫として過ごす。
 春から夏にかけて地中から這い出ると、夜間に羽化し、数日で成虫となる。 その命は2~3週間とも言われ、短い期間を精一杯生き、次の世代へ命のバトンを引き継ぐ。

 中国では古くから、地中から出てきて飛び立つセミを、人間(死者)の生き返り、復活の象徴とされ、日本でも、人間の生まれ変わりとする伝承があり、地中から這い出て、羽化した後の抜け殻を「空蝉(うつせみ)」と呼びますが、もともとはこの世に生きる人という意の「現身・現し臣(うつしおみ)」が語源とも言われ、現世・浮世という意味もあった。

 地上に這い出してきて、僅か2~3週間と言う蝉の命の儚さが、浮世に生きる人間の人生の哀れ、儚さに重ね合わされて考えられたのだろうか。

 明治の女流作家・樋口一葉は、

「とにかくに越えてをみまし空せみの世わたる橋や夢のうきはし」と、

儚い世の中なれど、一度限りの人生をとにかく生きてみましょうとの思いを歌に残し、僅か24歳という若さでこの世を去る。
 


 ところで、蝉(セミ)は、一般に夏の季語であるが、「蜩(ヒグラシ)・かなかな」と「法師蝉(ホウシゼミ)・つくつくぼうし」は、なぜか俳句では秋の季語となっている。

 とくに、蜩(ヒグラシ)は晩夏から初秋にかけて、夕暮れ時に鳴くことが多く、「カナカナカナ・・・」と哀調を含んでいて、子供の頃に夏休み、昼寝から一人目覚めた夕暮れに、たまたま母親らが買い物で誰もいなかった時など、ひぐらしが鳴いていると余計にもの悲しくて涙がでてきた思い出がある。
 
 真夏の日中に、暑さを増幅させるような蝉時雨(せみしぐれ)の勢いのあるものではなく、夕刻に、鳴き忘れていたかのように少し離れた木立から聞こえてくるヒグラシの声に、子供心にも何とも言えない寂しさを感じてしまったものである。

 






「 閑(しず)かさや 岩にしみ入る 蝉の声 」      (松尾芭蕉)


「 この旅、果てもない旅のつくつくぼうし 」       (種田山頭火)


「 初恋は 夢の彼方や 蝉しぐれ 」           (裟来)