伊勢原・日向薬師の棚田 (2014/02/05) |
とは言うものの「寒の戻り」か、昨夜から降り出した雨が雪となり、明け方には野山もうっすらと雪化粧、「日向の里」の春はもう少し先かなといった風景となっていた。
この時期になると何時も思い出されるのが「早春賦(そうしゅんふ)」と言う歌である。
最近ではテレビ・ラジオなどでもあまり聞かれなくなったが、母親が中学校の音楽の教師をしていたこともあり、幼い頃、音楽教室の窓辺から聞こえてくる女子生徒らの歌声が、今でも思い出される。
「早春賦(そうしゅんふ)」は、作詞・吉丸一昌、作曲・中田章により大正2年(1913)に発表された唱歌で、作詞の吉丸一昌が、長野県大町市を訪れた際に、安曇野あたりの早春の情景をうたったものと言われていて、穂高川の河川敷には記念の歌碑が建てられているという。
大町市は、古くは長野県・松本市から新潟県・糸魚川市に至る「千国街道(ちくにかいどう)」の宿場街として、また近年は「立山・黒部アルペン」観光の長野県側玄関口、後立山連峰、針ノ木岳、鹿島槍ヶ岳方面の登山口としても知られる。
なお、『夏の思い出』や『ちいさい秋みつけた』などの作曲で知られる作曲家の中田喜直(なかだ よしなお)氏は、作曲者の中田章の三男にあたり、音楽一家でもあった。
(早春賦)
一.
春は名のみの 風の寒さや
( 春とは名ばかりの風の寒さよ )
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
( 谷に住む鶯も、春になって歌を歌おうと思うのだが )
時にあらずと 声も立てず
( まだその時ではないと思って、声も立てない )
時にあらずと 声も立てず
( まだその時ではないと思って、声も立てない )
二.
氷解(と)け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ
( 氷は解けてしまい、葦は芽をふくらませている )
さては時ぞと 思うあやにく
( いよいよ、その時かと思ったけれど、期待に反して )
今日も昨日も 雪の空
( 今日も、 昨日も、雪空であった )
今日も昨日も 雪の空
( 今日も、 昨日も、雪空であった )
三.
春と聞かねば 知らでありしを
( 暦のうえではもう春だと聞いていなければ、まだ知らないでいたのに、 )
聞けば急(せ)かるる 胸の思いを
( 春だと聞いたからには、ついつい待ち焦がれてしまうこの胸の春を待つ思いを )
いかにせよとの この頃か
( いったいどう晴らせというのだろうか、今日この頃の季節の歩みのじれったさか!)
いかにせよとの この頃か
( いったいどう晴らせというのだろうか、今日この頃の季節の歩みのじれったさか!)
あの頃は、言葉の意味もよく分からず口ずさんでいたが、あらためてみると、いい歌詞だなと感じる。 自己流の解釈ではあるが、春の来るのを今か今かと待ちわびる雪国の人々、鳥や動物や山野までもが季節の変わりを待っている、そんな気持ちが伝わってくるような歌である。
大町へは、長野県・松本駅で大糸線に乗り換え、「信濃大町駅」で下車、後立山連峰の登山基地として多くの登山者が訪れ、「岳都」などとも呼ばれていて、商店街の歩道よりには、雪を防ぐための「がんぎ」のある風景も見られたが、あの風景はまだ残っているのだろうか。
最近は訪れる機会も少なくなってしまった。
「 樅の木の うら春浅き 白煙 」 (多田裕計)
「 春あさき 人の会釈や 山畑 」 (飯田蛇笏)
「 春浅き 恋もあるべし 籠り堂 」 (尾崎放哉)
● ネットでみつけた(動画サイト)
・ YouTube 「早春賦」:https://youtu.be/7dFV9ImVevo
・ YouTube 「早春賦」:https://www.youtube.com/watch?v=lZawuVwTxvo
・ YouTube 「夏の思い出」:https://www.youtube.com/watch?v=P4y3hiZfx5E
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