2013年10月1日火曜日

竹林の風吹きぬける神無月

金次郎さんの刈田 2013.10.01
今日から10月、古くは「神無月(かんなづき:かみなづき:かむなづき)」といい、秋も本番となるころ。

 正しくは、陰暦の十月の異称であり、陽暦(現行暦)で言えば、約1ヶ月遅れの11月にあたりることから、季節感も少しずれてしまう。 俳句の世界でも、「神無月」はすでに冬の季語になりますが、最近では陽暦の10月にも「神無月」の言葉が使われることも多く、秋の季語としても認められているようだ。

 この月(旧暦十月)、八百万(やおよろず)の神々が、全国から出雲の国(現在の島根県)の出雲大社に集まるので、全国の神社では神様が留守になることから、神の居ない月、すなわち「神無月」だと言われている。

 また、一説には雷の鳴らない月の「雷無月(かみなしづき)」の意味だとする説や、新米(穀物)で酒を醸(かも)す月と言う意味の「醸成月(かみなしづき)」とする説など語源については諸説あるなかで、「無(な)」を漢字の「無(ない)」の意味ではなく、単純に連体助詞「の」とする「神の月」説が有力ともされている。

 また、出雲ではこの月、全国の神々が集まってくることから「神有月・神在月(かみありづき)」と呼ばれ、八百万(やおよろず)の神々が、出雲で一年の国事を話し合うのだという。

 旧暦の10月10日の夜、国譲り神話の舞台となった出雲の「稲左浜」では、神々を迎える「神迎祭」が行われる。 その後、神々の会議が行われる「出雲大社」では、10月11日から17日まで「神在祭」が行われる。

 神々を送り出す側でも、旧暦九月の晦日(末日)に「神送り」、十月の晦日(末日)に「神迎え」の神事が行われます。 この間「留守居役」の神様もいて、留守の間、代理をつとめる神社もあるとか。



実蒔原への道 2013.10.01
子供の頃、九月晦日の夜、鎮守の森の神社から太鼓の音が聞こえてくると、「今日は、神様が空を飛んで出雲へ出かけるんだよ。」と父親が教えてくれた。
 「サンタクロースのようにソリに乗るのかな、それとも白馬に乗って、いや黄金バットのように飛ぶのかも」などと想像したものである。

 そして、十月の終わり、鎮守の森の神社からまた太鼓の音が聞こえてくると、「あっ、今、神様が戻ってきたよ」と父が言う。
 「外に出て空を見ててなくても、わかるの、どうして?」と聞くと、「さっき、ヒューと風の吹く音がしただろ。あれは丁度、うちの家の屋根の上を神様が通って行ったしるしだよ。 今はもう中臣さん(神主)が、神さんに食事と御神酒(おみき)をあげているころだな」と話す。

 そんな父は戦前、ゼロ戦の後継機として期待された戦闘機「紫電改」を製造した川西航空機・鳴尾で技師として働いていた。
 戦争末期、当時すでに物資が不足していたなかで満足な部品も無く、品質管理を担当、組み立てられた飛行機のテスト飛行にも乗ったが、完成品で設計通りに飛べる満足できる機は、ほとんど無かったと言う。 結局、「神風」は吹かず日本は敗戦を迎えることになる。

 戦後、故郷・四国に帰り暮らしていた父だが、終戦から34年目の夏、近くの岬の海底からほぼ原型をとどめた「紫電改」の機体が引き上げられた。
 引き上げ作業を見ていた父は、何も語らなかったが、その姿を見ていた母は、涙が止まらなかったと言う。
 その後、引き上げらた機体は、近くの小高い山(馬瀬山)の上に記念館が建てられ、保存展示されるようになった。

 秋のこの時期になると、何故か今でも時々思い出す。 小津安二郎の映画「東京物語」の笠智衆さんのような寡黙な父親だったが、もっともっと父と話しておけばよかったと思う。
 
 亡くなって久しいが、今でも無性に会いたくなる時がある。






” 竹林の 風吹き抜ける 神無月 ”         (裟来)