2013年9月28日土曜日

赤とんぼ母探すごとく

青々としていた水田も、やがて黄金色に輝き、実るほどに首(こうべ)を垂れた稲穂はやがて収穫の時期を迎えます。

 秋晴れとなったこの日、あちらこちらで稲刈りが行われていた。

 昔と違い、バリカンで頭の毛を刈り取るように、コンバインで次々に稲を刈り取っていく。

 






トンボの名前の由来は、「飛ぶ穂」あるいは「飛ぶ棒」とも言われていますが、秋茜(あきあかね)や深山茜に代表される赤トンボの古称は、「秋津(あきつ、あきづ」と言い、実りの秋を象徴する昆虫として昔から愛されてきました。

 古くは、日本(本州)を秋津州(あきつしま)と言ったのも、神武天皇(神話上の初代天皇)が、山々に囲まれた国の姿を、雌雄のトンボが交尾をしながら輪のようになって飛ぶ姿になぞらえたという故事に由来する。

 また、雄略天皇は、害虫を素早く捕らえるトンボの姿を歌に詠み、前進するのみで後退しない不退転の攻撃的な姿から、トンボは昔から「勝ち虫」とも呼ばれ、戦国時代の武将も縁起物として好んで兜や鎧の装飾に好んで用いられた。

 古来、勇猛さを感じさせたトンボも、童謡「赤とんぼ」では、どこか郷愁を誘う秋の虫のイメージとして歌われています。 幼い頃を過したふるさとの情景を、懐かしく思い起こす人も多いいのではないだろうか。

 運動会の終わった後の小学校の校庭で、跡片付けの掃除をしながら友達と、竹箒で赤とんぼの大群を追いかけていた夕やけ空の赤を、まぼろしではなく、何故か今でも涙が出るほどはっきりと覚えている。

 あれから半世紀以上、あの時の校庭いっぱいに群れ飛ぶほどの赤とんぼの大群を、生息環境の変化か、今はもう見ることもなくなった。
 



赤とんぼ     ( 作詞:三木 露風  / 作曲:山田 耕作 )

夕やけ小やけの 赤とんぼ
負われて 見たのは いつの日か

山の畑の 桑(くわ)の実を
小篭(こかご)に 摘んだは まぼろしか

十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き
お里の たよりも 絶えはてた

夕やけ小こけの 赤とんぼ
とまって いるよ 竿の先






” 赤とんぼ みな母探す ごとくゆく ”       (細谷 源二)







(赤とんぼ減少の謎)


 日本中の至るところで見られた赤とんぼ(アキアカネ)が、2000年前後を境にして半数以上の府県で激減しているのだという調査結果もある。

 その原因が一般には、減反政策で田んぼが減ったこと、温暖化による環境の変化、湿田の乾田化などの影響によるものと考える専門家もいるが、しかし徐々にその数が減るならわかるが、2000年前後を境として急激に減少した説明がつかないとし、この頃より急激に使用されてきた新しいタイプの農薬が関係しているのではないかと考える研究者がいる。

 これらの農薬は「浸透性殺虫剤」と呼ばれ、1990年代に認可された「イミダクロプリド」、「フィプロニル」といった成分を使ったもので、イネの「育苗箱用殺虫剤」として広く使われているもの。

 従来の散布するタイプと異なり、地中からイネに農薬成分を吸収させ、そのイネの葉などを食べた害虫を殺すというものだ。田植え後の農薬散布の手間が省け、成分が環境中に撒かれないことから“エコ”な農薬ともいわれている。

 これら新タイプの農薬がアキアカネの幼虫に与える影響を検証した結果、「フィプロニル」を用いた場合はまったく羽化せず、「ジノテフラン」、「イミダクロプリド」といった殺虫剤でも、30%ほどしか羽化しなかったという。

 一方、従来タイプの農薬を使った場合は、農薬を使用しなかった場合と同程度の羽化率であったと言う。
 この結果から旧タイプの農薬と新タイプの農薬で、アキアカネの羽化率が明らかに違うことから、新農薬の使用増加とアキアカネ減少には因果関係があり、全国的に急減した要因の一つではないかとしている。

 このことは、赤トンボの減少という事象のみならず、残留農薬としてお米を通じて人体にも影響がないのか懸念されるところであり、便利さの裏側で鳴らされている警鐘を見逃してはならない。