2013年5月25日土曜日

麦秋の風

伊勢原市洗水の麦畑 2013.05.25
「麦秋(ばくしゅう)」と言うと、小津安二郎・監督の映画の題名を思い浮かべる人もいるだろうか。

 麦の穂が熟したこと、またはその頃の季節を指す言葉で、俳句では夏の季語として(むぎあき)、(むぎのあき)などとも読まれている。
 収穫期を迎えた麦にとっては、実りの秋とも言えることから名付けられた季節の言葉でもある。 

 近頃は、麦畑を見かけることも少なくなったが、以前、自転車で北海道を旅していたとき、上富良野町から美瑛町に至るあたりだっただろうか、一面の麦畑がパッチワークのように、なだらかな丘に広がっている風景を見て、日本にもこんな所があったんだと感動したことを覚えている。

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伊勢原市洗水の麦畑 2013.05.25
早熟の麦は、晩秋に種が蒔かれ、寒い冬を越し、立春から百二十日前後(五月下旬から六月上旬)の晩春から初夏に黄熟してくると、麦刈りの時期である。
 梅雨を前にして、短期間で一気に刈り取り作業を終えねばならず、農家にとって忙しい時期でもあった。

その頃には「農繁休業」といって、小・中学校が3~4日ほど休みになった。 小学生と言えども貴重な労働力である。 鎌を手に麦を刈り取り、束にして運び、センバコギで脱穀した分を袋に入れ、約30分ほどの道を担いで家まで帰る。

 段々畑の急斜面を午前と午後の2往復、母親に「まー、まー、えらかったねー(たいへんだったね)、ごくろうさん」と言われると、子供心にも一人前になったようで何だか嬉しかった。

 毎日、昼の12時になると公民館のサイレンが鳴った。 忙しい時は畑で弁当を食べたが、母の握った「おにぎり」は美味しかった。 この時期だけNHKラジオ番組の「昼の憩い」のテーマ音楽が公民館の有線スピーカーから流れてくると、申し合わせたように各家々の畑でもお昼休みとなる。

 子供たちは、脱穀した麦わらの山に上の段の畑から飛び降りたり、マットのかわりにしてプロレスごっこをしたりして遊んだ。 当時は今と違い、物のない時代だったが、何でも遊ぶ道具にして子供たちはとにかく元気だった。 

 農家でない家の子供たちは、親戚の家の農作業を手伝ったり、幼い兄弟のいる子は子守や家の手伝いをしたり、登校して自習したりして過した。

 学校にも行かず遊んでいると、決まって「女子グループ」から担任の先生に「○○ちゃんは、家の手伝いしないで遊んでいました」と告げ口され、休み明けに「家のお手伝いしてたか?先生見てるんだから、つぎ遊んでたら宿題いっぱい出すからな」と言って、笑いながらグーの手でやさしく頭をコツンと撫でた。 そんな先生も自分の家の麦畑で忙しかった。

 麦の収穫が終わると、すぐにサツマイモの種芋の植え付けである。 水利の乏しい段々畑では、梅雨は恵みの水となり農作物を育み、実りの秋にはサツマイモの収穫でまた忙しくなる頃、「秋の農繁休業」となる。

 みんなが貧しい時代だったが、楽しかった時代だった。 半世紀以上も前の話である。


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 海岸線から山の頂にむかい、まるで地形図の等高線を描くように広がる段々畑は、かっては「耕して、天に至る」と形容されたほど。 江戸時代から続いた過酷な風景であったが、急速な過疎化と高齢化の波に押され、耕作放棄が加速し、青々とした森へと戻ってしまい、今ではその痕跡すら探すのも困難になってしまった。 


 その当時、現在のような風景になるとは誰が予想できただろうか。
四国の南の端にある片田舎の思い出である。



「 麦秋や 馬いななきて あとさびし 」        (塚原麦生)



「 ほほなでる 麦穂の風や なつかしき 」       (裟来)