2013年4月14日日曜日

ちょっとハードな林道歩き(七沢温泉から大山寺へ)


(コース概要)

・ 厚木・七沢温泉から、大山山腹の4本の林道を歩き継ぎながら伊勢原・大山寺まで歩く。

 厚木の秘湯・七沢温泉から、日向薬師へ通ずる「薬師林道」をスタートし、林道の終点・日向から「日向林道」に入り、途中で「仁ヶ久保林道」を大山の里へと下り、さらに「浅間山林道」を上り、途中で「阿夫利林道」を終点・大山寺へと歩く。

(尚、林道は主に森林整備・保全を目的とした作業用の道路であり、一般車両の通行が禁止されている場合も多く、未舗装部分や落石、がけ崩れ等による通行不能などの危険性もあるため、あくまでも自己責任で、コースや天候の事前確認は当然、体力や、装備等にも余裕をもって行動することが必要であります。)


(コース)

 (本厚木駅)⇒「七沢温泉入口」バス停 → 薬師林道 → 日向薬師 → 日向ふれあい学習センター → 日向林道 → 仁ヶ久保林道 → 大山・旧道 → 「大山駅」バス停 → 浅間山林道→ 阿夫利林道 → 大山寺 → 「大山ケーブル」バス停 ⇒(伊勢原駅)

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(所要時間)
 ・歩行距離 = 約21.5km / 歩行時間 = 約6~7時間 (距離・歩行時間は目安です。)

(備 考)
 ・記  録:2013年 04月14日
 ・アクセス:始点「七沢温泉入口」バス停
       終点「大山ケーブル」バス停


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(動 画)





(コース図) 「七沢温泉入口」バス停から「大山ケーブル」バス停へ


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七沢温泉から大山寺・林道歩き/独案内

1.「七沢温泉入口」バス停から七沢温泉へ


①  「七沢温泉入口」バス停で下車、県道をすこし手前に戻ると、厚木市消防・玉川分署横に「東丹沢七沢観光案内所」があり、周辺の情報収集やトイレ休憩など身支度をし、準備運動をしていよいよ出発します。

(ただし、昼食事時間帯は、職員休憩時間で窓口が閉まっていることがあるので注意のこと。)

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■ 「七沢温泉入口」バス停  (「東丹沢七沢観光案内所」の建物の裏側にトイレあり)

県道伊勢原・津久井線「七沢温泉入口」バス停
厚木消防玉川分署・観光案内所











七沢観光案内所(無料休憩所)





「東丹沢七沢観光案内所」

・ 営業時間:9:00 ~ 17:00(冬期:16:00)
・ 定休日:月曜定休(祝日の場合は木曜定休)




② バス停から県道64号を「津久井・宮ヶ瀬」方面に100m程歩き、県道が右へと曲がるところで県道と別れ、分岐点を直進、「七沢温泉・七沢病院」方面の道へと入る。

③ 緩やかな坂道を上って行くと、左に七沢病院の案内板が見えてくる。
  「七沢病院」のある小高い丘の上には、室町~戦国時代に「七沢城」があったと言われている。
  現在は、城郭(当時は山城で砦のようなもの)などの遺構もなく、案内板が立っているだけです。

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■ 七沢城跡

七沢リハビリテーション病院・七沢城跡入口(坂下)
七沢城址(坂上)











七沢城址(坂上)





 室町時代初期に、糟屋館(伊勢原市)を本拠とする扇谷上杉氏の出城として築かれたとも言われる。(家臣であった智将・太田道灌は、謀反の疑いにより糟屋館で暗殺されたとも伝わる)
 その後台頭してきた小田原北条氏の勢力下になり、廃城と言われている。

《 七沢城は、室町時代戦乱の激しくなった頃、自然の山を利用して築かれた山城の一つですが、創設は明らかでありません。
 室町時代の中頃、宝徳二年(1,450)鎌倉公方(くぼう)足利成氏(しげうじ)とその執事(しつじ)上杉憲忠(のりただ)との争いが起こった時、憲忠がこの城にたてこもった記録がありますが、七沢城が文献に表れた最初の記録と言われています。
 その後、上杉定正の城となり、その兄・朝昌(ともまさ)が城を守りました。その後も定正の次子・朝寧(ともやす)が城を守りましたが、戦国時代の末期、永禄五年(1,562)小田原北条氏がこの地方を攻撃し、落城してしまいました。
 それ以来、七沢城は荒廃し山林と化し、さらに畑地となったのは寛文年間のことと伝えられています。このようなことから、この土地には、七沢城にまつわる伝説や地名が数多く残っています。 》

(厚木市・七沢城址案内文より)

④ 「七沢病院入口」の案内板からさらに、旅館「盛楽苑」の白い塀を過ぎたところで、右手の小高い丘に「吉祥山徳雲寺」が見えてくる。
 「七沢城跡」バス停横の小道を上って行くと、徳雲寺のこぢんまりとした境内の左奥に、上杉定正の墓(伝上杉定正)とされる五輪塔がある。

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■ 徳雲寺

伝・上杉定正供養塔
吉祥山・徳雲寺










県立七沢病院/七沢城跡






 徳雲寺は、「吉祥山」と号し、臨済宗・鎌倉建長寺派の末寺。
境内奥には、七沢城主・上杉定正の墓と伝えられる五輪塔がある。(最近、墓所として整備された)
 境内からは、谷を挟んで向かい側に七沢城跡の小高い丘が見える。


⑤ 徳雲寺から再びバス道に戻り、人家の途絶えた道を谷戸の奥へとゆるやかに上ると、やがて「七沢温泉」の案内板が見えてくる。
 「七沢温泉」行きのバスはここが終点、バスの便はあるが運行本数が少ないので、県道の「七沢温泉入口」バス停で下車し、ここまで歩いてやってくる人も多いい。

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■ 七沢温泉

「七沢温泉」バス終点
福元館・「小林多喜二」滞在の離れ











「小林多喜二」説明板





 「七沢温泉」は、渓流沿いの林に囲まれた老舗温泉旅館が4軒だけの小さな温泉地である。 厚木の奥座敷とも言われたが、温泉地の独特の華やかさなどはまったく無く、ひっそりとした隠れ里といった感じだろうか。
 「蟹工船」などの日本プロレタリア文学の作家で知られた小林多喜二が、一時期滞在していたと言う旅館の離れが復元されている。


2.七沢温泉から日向薬師(薬師林道)へ


① 七沢温泉を過ぎると薬師林道に入る。 林道終点までは約3km、途中の「日向薬師」までは上り坂が続く。
 林道のゲートは普段開いていて、日向薬師へ参拝する一般車なども通行するため注意して歩く。

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■ 薬師林道始点
「薬師林道」
村中山・観音寺











馬頭観音塔





 林道に入ったところに、「村中山・観音寺(そんちゅうざん・かんのんじ)」がある。

 お寺の説明板によれば、奈良時代後期、元正天皇のころの創設と伝えられている。
 その後、野火により焼失してしまったが、江戸時代の元禄初年頃、日向・一之沢の「浄発願寺(じょうはつがんじ)」の木食空誉弾阿上人(もくじきくうよだんあじょうにん)が、村民の協力により再建し、天台宗の寺として開山する。

 本尊は「馬頭観音菩薩(ばとうかんのんぼさつ)」とされ、上杉定正の愛馬「月影」を祀ったことによるとも伝えられ、観音さまのお祭りには、境内で草競馬が催されていたこともあったと言う。



②.林道の途中で左側から「関東ふれあいの道」と合流、さらに30分程ひたすら登り、厚木と伊勢原市の境の峠を過ぎると、緩やかな下りへと変わり、ほどなく日向薬師の駐車場(林道横の空地)に到着する。

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■ 日向薬師(宝城坊)  (トイレ、休憩所もあり、売店は平日休みの時もある。)

売店・休憩所
日向薬師・旧本堂














 縁起によると、奈良時代の霊亀2年(716年)に、行基により開山されたと伝えられる。 
かっては、「日向山・霊山寺(ひなたさん・りょうせんじ)」と称し、「薬師信仰」の霊場として鎌倉時代には、源頼朝や妻の北条政子も参詣したと言う古刹であった。

 「薬師三尊」を本尊とし、江戸時代には山中に十三坊を有し、勅願寺として「日本三薬師」にも数えられたが、明治時代になり廃仏希釈により廃寺。 その後、「霊山寺」の別当坊であった「宝城坊(ほうじょうぼう)」が寺籍を継ぎ、通称「日向薬師」と呼ばれて、今も多くの参拝者が訪れる。

本堂・「平成の大修理」工事中














★ (現在、宝城坊本堂(薬師堂;国重要文化財指定)は「平成の大修理」の解体工事中、350年ぶりの大改修で、施工期間2011(平成23年)1月~2016(平成28年)9月30日(予定)の6年間の予定。)

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■ 日向梅林

日向梅林・林道登り口
日向梅林














 「日向薬師」の裏山、薬師林道・駐車場の山側斜面に、約100本ほどの白梅・紅梅の梅林があり、毎年、2月下旬~3月上旬頃には梅の花が日向の山里に春を告げてくれる。


③.林道をさらに下って行くと、林道終点で日向薬師の里へと出る。

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■ 薬師林道・終点

薬師林道・終点
薬師林道












薬師林道




 「薬師林道」は、厚木市七沢と伊勢原市日向の日向山山腹を通る約3kmほどの林道、春から秋にかけてはハイカーも訪れます。
 ただし、台風の後などは落石や倒木などで道が塞がれていることも、また冬期の降雪時には路面凍結していることもあるので歩行には注意が必要。

 (また、一般車も通行するので歩行時には車に注意!)


④.林道終点の丁字路を右へ向かうと、大山登山道口、「日向林道」方面へと続きます。
尚、反対方向へ左折し、坂道を2~3分下ると、伊勢原駅方面から運行の「日向薬師」バス停(終点)があるので、身体の不調や、天候の悪化等で林道歩きを中断する場合は無理をせず、ここで一旦終了することをおすすめします。

 (秋の彼岸の頃には、小さな棚田一面に彼岸花が咲くので、のんびり里山を散策して帰るのもいいでしょう!)

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■ 日向の里

日向の棚田(9月中旬)
早春の里
















日向の彼岸花(9月中旬)
日向薬師バス停












 

 日向の里は、霊山寺(りょうぜんじ)を中心として、日向十二坊とも十三坊とも呼ばれたように、山中に多数の坊を有した日向修験の拠点として栄えたところ。 明治になり神仏分離・廃仏毀釈により多くの修験僧は山を下り、帰農や神官として、また御師として宿坊を営む人々もあった。 日向の里は、そうした人々の末裔が暮らす山里でもある。

 秋の彼岸の頃になると、棚田に彼岸花が咲き、「かながわの花の名所100選」にも指定されていて、多くの人が訪れる。


3.日向薬師(薬師林道)から日向ふれあい学習センターへ


①.薬師林道・終点の丁字路を右折し、日向川に沿って上流へと歩くと、対岸に浄発願寺の三重の塔が見えてくる。 

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■ 一ノ沢・浄発願寺

一ノ沢・浄発願寺
「無常山・浄発願寺(むじょうざん・ じょうはつがんじ)」は、約400年程前に木食・弾誓上人(もくじき・たんせいしょうにん)により開山され、空誉(くうよ)により、天和(てんな)3年(1683)に建立された天台宗・弾誓派の寺院。

 江戸時代には、16万5千坪の境内地を持ち、尾張徳川家や大名家から庇護され大いに栄えた古刹である。
 「駆け込み寺」としても有名で、殺人や放火犯以外の犯罪者も、入門し仏に帰依することでその罪が許されたという。

 元々は、1kmほど上流の現在「奥ノ院」と呼ばれる場所にあったが、昭和13年9月の山津波により現在地に移されたという。


②.「浄発願寺」を過ぎ、「日向山荘」手前で車道を左折、日向川に架かる「御所の入橋」を渡り、右手奥の林の中に入っていくと、「大友皇子の御陵」と伝えられる五層塔と五輪の供養塔群がある。

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■ 伝・大友皇子御陵

伝・大友皇子御陵
御陵入口
















 大友皇子(おおとものおうじ)は、大化の改新を行った中大兄皇子(後の天智天皇)を父とし、壬申の乱(672年)で、叔父である大海人皇子(後の天武天皇)に敗れ、山前(やまさき)(山前の場所については、大津市長等山、あるいは京都府乙訓郡大山崎、などの諸説がある)において自害したとされているが、実は東国に逃れたという伝説もあり、日向にも僅かの従者を率いて近江国を逃れた大友皇子が、この地に隠れ住み、淋しい生涯を閉じたと言う伝説が残されている。

 大友皇子については不明な点も多く、父・天智天皇の後を継ぎ一時天皇(明治3年、弘文天皇の諡号(しごう)を贈られ天皇として認められる)に即位したとの説もあり、滋賀県大津市御陵町にある長等山前陵(園城寺亀丘古墳)が天皇陵とされている。


③.再び車道に戻り、「日向山荘」横から徐々に傾斜を増す坂道を上って行くと、渓流釣り場の手前、右手に「石雲寺」の竹林が見えてくる。

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■ 「雨降山・石雲寺」

「雨降山石雲寺」山門
「石雲寺」本堂
















 雨降山・石雲寺(うこうざん・せき うんじ)は、曹洞宗(そうとうしゅう)の古刹で、開創は奈良時代の養老2年(西暦718年)、大友皇子を開基とし、華厳法師(けごんほうし)により開山。 諸国を行脚していた法師が、日向の山中で紫雲に導かれ、この地に皇子の菩提を弔うために精舎を建てたのが始まりとも伝えられる。

 当初は「医王山雨降院」と称し、日向川対岸の下流、大友皇子御陵の近くにあったと言われ、その後現在地に移されたようである。


④.「クアハウス山小屋」というレストラン(日帰り温泉)を過ぎたところで、右手下の日向川の対岸に「旧浄発願寺」の山門跡・広場が見える。 山門跡から旧跡までは、さらに10分ほど山道を登っていく。(時間に余裕があれば立ち寄りたいところだが、浄発願寺旧跡めぐりに30~40分位)

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■ 旧跡・浄発願寺(奥の院)

旧・浄発願寺跡入口(一ノ沢橋)
旧・浄発願寺山門跡














 高僧・弾誓上人が慶長13(1608)年に開山した寺。この寺は「罪人の駆け込み寺」で、殺人や放火の凶悪犯以外は、ここに逃げ込めば助けられたと言われており、往時には徳川家康公から寄進された16万5千坪もの寺領を有していたが、昭和13年の山津波で全山が流され、寺は現在、日向川の下流に再建されている。

 旧・浄発願寺山門跡広場の「閻魔堂跡」には東屋風の休憩所があり、その他に「宝篋印塔」、「石仏」等が保存されている。
 「山門跡」から旧・浄発願寺跡(堂宇跡)へは、さらに参道跡の細い山道を10分ほど登る。 参道の所々に立つ石仏は、首から上の頭部が欠けたものも多く、明治時代初期の廃仏毀釈による全国の寺院・仏教施設などで行われた仏像・石仏・仏具などの破壊行為の名残であろうか。

 参道を登りきると、建物もなく堂宇跡の礎石がわずかに残るのみで、かつての大伽藍も周囲の森に徐々に飲み込まれ、やがて自然へと帰っていくのだろう。 周囲には、修行のための岩屋跡や、歴代上人の墓石(卵塔)群、石塔、石仏が草木の中でひっそりとたたずんでいる。


⑤.旧・浄発願寺跡入口を過ぎ、車道をさらに上って行くと、あたりは渓谷の様相を呈し、坂道の上に伊勢原市の「日向ふれあい学習センター」の建物が見えてくる。 その手前、車道の左側の杉林に入っていく登山道が、日向薬師ルート(見晴台経由大山山頂)の大山登山道である。

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■ 伊勢原市日向ふれあい学習センター

大山登山道入口(車道左側)
日向ふれあい学習センター














 伊勢原市の自然体験型施設で、研修室、団体宿泊(自炊)、バーベキュー場などの利用が可能。



4.日向ふれあい学習センターから「大山駅」バス停へ


①.「日向ふれあい学習センター」前を通過し、渓谷沿いの駐車場を過ぎた先にある「ふれあいの森キャンプ場」入口で左に大きくカーブすると「日向林道」のゲートがある。

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■ 日向林道

日向林道ゲート
大山登山道・交差














 「日向林道」は、伊勢原市日向から大山地区の中腹にのびる約4Kmほどの林道。 全区間舗装されいるが一般車両は通行禁止となっている。終点は行き止まりとなっていて、Uターンして戻ることになる。 途中で「仁ヶ久保林道」を経由して大山地区へと下ることが出来る。


②.林道のゲート横をすり抜けるようにして林道へ入り、傾斜の緩やかになった坂を登ると、ほどなく林道・左の谷側から日向薬師ルートの大山登山道が登ってくる。
 登山道は、そのまま林道と交差するようにして、右山側のガードレールのある石段を登っていく。


③.登山道との交差地点から約1Kmほどで、「仁ヶ久保林道」との分岐点に到着。 林道の分岐地点は、日向地区と大山地区を隔てる尾根の峠越えの道ともなっていて、ここで左からくる「仁ヶ久保林道」に入ると、道は麓の大山地区へと一気に下って行く。

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■ 仁ヶ久保林道

左・仁ヶ久保林道/右・日向林道
仁ヶ久保林道入口ゲート














 「仁ヶ久保林道」は、全区間舗装され比較的視界も開けていることから、天気の良い日には箱根連山から相模湾、江の島や横浜ランドマークタワー、さらに三浦半島、大島なども望むことが出来る。

仁ヶ久保林道
江の島・三浦半島遠望













林道出口側ゲート1
林道出口側ゲート2















④. 「仁ヶ久保林道」の2箇所の林道ゲートを通過し、麓(子易地区)の里道を下っていくと、県道沿いの「這子坂」バス停近くに出る。

県道合流地点
県道・「這子坂」バス停














⑤.県道を横切るようにして、向い側の小道(旧・大山道)に入ると、児童館を過ぎた右側に急な上り坂があり、旧大山街道の「這子坂(はいこざか)」と呼ばれたように、這って上らなくてはならないほどの急坂であったとか、赤ん坊が這っていたところを鷲にさらわれてしまったなどの話が残されている。 坂を上りきったところで右に行くと再び県道へ合流する。

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■ 旧道(大山道)

旧道・這子坂
旧道・三の鳥居
















⑥.県道をひたすら上ってゆくと、道の左側に諏訪神社があり、右にカーブするようにして坂道をさらに上ってゆくと、やがて大鳥居(三の鳥居)が見えてくる。 この鳥居からが大山阿夫利神社の門前町である。

旧道・あらたま橋
「大山駅」バス停前・丁字路














⑦.鈴川(大山川)に架かる朱色の新玉橋(あらたまばし)を渡ると、丁字路に出る。 丁字路正面に食堂を兼ねたお土産物屋(清水屋)さんがあり、その前に「大山駅」バス停がある。


5.「大山駅」バス停から大山寺へ

①. 「大山駅」バス停(食堂・清水屋さんの前)の横の駐車場奥に、「浅間山林道」の入口がある。 林道は途中で「阿夫利林道」の起点とつながり、終点の大山寺まで全区間舗装されている。
(「浅間山林道」は、大山寺関係者の車両なども通行するため歩行には注意の事)

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■ 「大山駅」バス停

「大山駅」バス停
大山参道方面














 鉄道の駅でもないのに「大山駅」と言う名前のバス停、どこに駅があるのだろうと昔から気になってはいたが、伊勢原市の図書館で調べてみたら、昭和10年頃、バス道路が整備され小田急・伊勢原駅からの乗合自動車(バス)は、ここ(清水屋さんの前)が終点であった。
 開通当時は、鉄道が駅という呼び名だったことから、出発点と同様にバス終点にも駅という呼び名を付けたのではないかと言わている。

 現在は、鈴川(大山川)沿いに、さらに上流の「大山ケーブル」バス停までバスの通れる道路が整備され、「大山駅」は終点ではなくなったが、バス停の名はそのまま残されている。

浅間山林道・入口
シャガ群生
















大山古道(旧小田原道)分岐
「浅間山林道」の入口から坂道を上って行くと、大山不動・八大坊末寺の観音寺跡があり、林道沿いに春になるとシャガの群生を見ることが出来る。

 途中で大山古道(旧・小田原道)が林道を横切るように通る。
 秦野方面からイヨリ峠を越え、大山に至る大山道で信仰の道であり、生活道路でもあった。
 交通の発達により、一時は歩く人も無く、忘れ去られていたものを、近年、地元の有志の方々により復興された道。





②.林道分岐で左に行くと「浅間山林道」のゲートがあり、直進すると「阿夫利林道」の起点となり、そのまま終点の大山寺へと通じる。

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■ 阿夫利林道

(左)浅間山林道/(直進)阿夫利林道・分岐
浅間山林道ゲート














阿夫利林道

 「阿夫利林道」からは、緩やかな上りとなるが、林道からの展望はあまりない。
 ただ、終点手前で眺める紅葉の大山寺は、絵になる風景か。











③.「阿夫利林道」終点の連絡用隧道の手前右側に「大山寺」への歩道がある。


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■ 「雨降山・大山寺」

阿夫利林道より大山寺へ
大山寺













大山寺・紅葉ライトアップ(11月中旬)

 「雨降山・大山寺」は、奈良時代に良弁僧正により開山。 石尊大権現と不動尊を祀り、大山全山を修験の場とする道場として、古くは源頼朝が「武運長久」を祈願し太刀を納め、江戸時代には雨降りの神として多くの庶民が「大山講」を組織し、農民は五穀豊穣を、漁民は豊魚や航海安全、商人は商売繁盛を願い参拝した。

 特に水に関係する職業、町火消し(消防)、魚河岸(魚市場)、髪結い(床屋)などの人々も多くいた。

 明治維新以降は、大山阿夫利神社となり、神仏分離と廃仏毀釈の運動により、寺は打ち壊され一時廃寺となっていたが、その後現在の場所に再建され、関東の三大不動尊の一つとして、今も多くの人々により参拝されている。


④.「大山寺」からは、女坂を「大山ケーブル」バス停へと下る。

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■ 「大山ケーブル」バス停