2013年3月5日火曜日

二十四節気「啓蟄(けいちつ)」

ご近所の八木(ヤギ)さん・食事中
「啓蟄(けいちつ)」は、二十四節気の一つ。 陰暦の2月の節、新暦(現行暦)では3月6日前後で、冬眠していた虫(蟄虫)たちが、陽気の暖かになるにつれて穴からはいでる意。
 月例には「蟄虫咸(みな)動き、戸を啓(ひら)きて始めて出づ」とある。
 また、『暦便覧』では「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されている。




 「蟄虫(ちっちゅう)」とは、地中で冬を過ごす(冬眠・冬篭り)虫たちのことで、昆虫だけではなく、蛇や蛙、蜥蜴(とかげ)など、土にひそんで冬を過ごす小動物を指す言葉です。
 しかし、実際に虫たちが活動を始めるのは平均気温が摂氏10度を上回るようになる頃からとも言われています。(但し、虫の種類や日照時間の長さなども関係することから一概には言えないようだが?)
 実際に、この時期これらの虫が出始めるのは九州の鹿児島や宮崎などの暖かい地方で、関東地方周辺ではもう少し後のようである。 

 「二月は氷、三月は風 ・・・・」と言われたように、三月上旬のこの時期は、関東地方の太平洋側沿岸でも冷たい風が吹き、時には季節外れの大雪に見舞われることもあり、まだまだ春遠しと感ずる頃でもある。
 この頃、関西では春を告げる行事の一つ、「東大寺二月堂のお水取り」(3月12日ころ)が行われ、この地方では昔から「奈良の東大寺のお水取りが済まないと暖かくならない」などと言われてきた。

 関東でも比較的温暖な相模の国、大山山麓でもこの頃は「冬」から「春」へと季節が変わる時で、日本海側を北上する低気圧に向かって吹き付ける南風により、春本番を思わせる陽気に梅の花も一気に咲き揃うかと思えば、太平洋沿岸を北上する低気圧に日本海側を南下する寒気団が合わさると、季節外れの大雪をもたらすのもこの頃である。


 虫といえば、子供の頃は学校の帰り道などで蛇や蛙をよく見かけたものである。 冬眠から覚めたばかりのためか、気温がまだ低いためか、この頃の蛇や蛙は動きが緩慢ですぐに捕まえることができた。
 棒でつついて遊んだりしたものだが、最近公園にいっても、落ち葉はきれいに掃きとられ、毛虫対策で定期的に殺虫剤を散布するためか、冬空にゆらゆらゆれる蓑虫(みのむし)さえ見つけることが困難になった。
 「暖かくなって虫もそろそろ這い出してくる頃かな~。」などと、地中の虫にまで心を傾けるような余裕など、現在人は無くしてしまったということだろうか。 

 それでも「桃の節供・雛祭り」が終わり、「梅の花」が咲きそろい、「水仙」が咲き、「早咲きの河津桜」が咲き始める頃、河原の土手には「つくし」が顔を出し、「菜の花」が咲くと、人間界でもようやく春が来たなと実感できる頃だろう。

 人間さまも、寒い冬の間は何かと外出するのも億劫でついつい家の中に閉じこもっていたのが、春になって暖かくなってくると、もぞもぞと屋外へと這い出していきたくなる頃でもある。



追記.蓑虫(みのむし)が絶滅危惧種?

 先日、このブログをアップした後、数日して何気なく蓑虫で検索していたら、「最近、ミノムシを見かけなくなった」という人達が他にもいるようで、「そう思っていたのは、自分だけじゃないんだな~」と。
 そして、蓑虫減少の原因が農薬や毛虫対策の殺虫剤だけじゃなかったんだと、そういえば見なくなったのは庭木や公園や街路樹だけじゃない気がしていたが。 「蓑虫減少のミステリー」からみえてきたもの。

 蓑虫(みのむし)は、ミノガの幼虫で秋、木の葉や小枝を糸で綴って袋状の巣を作りその中で越冬する。生息地は主に関東地方以南で北国ではあまり見かけないようである。 その形が、藁(わら)で作った雨具の蓑(みの)に似ていたところから蓑虫(みのむし)と呼ばれたといわれている。

 オスは普通の蛾と同じように夏になり羽化し、メスを求め飛行するが交尾が終わると一生を終える。 メスは退化し蛾へと羽化することなく幼虫の姿で巣(蓑)の中に留まり、オスと交尾後袋状の蓑の中で産卵し、卵が孵化(ふか)する前に蓑から出て地上に落ち生涯を終える。 すなわち卵から孵化する頃には、父親も母親もすでにこの世にはいないということなのである。

 秋から冬にかけ、落葉した小枝にぶら下がって秋風に揺れている様は、何となく物寂しい感じがして、平安時代に書かれた清少納言の「枕草子」にも、「蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似て、・・・・・・ 」などとあり、俳句では秋の季語として、「蓑虫」又は「鬼の子・鬼の捨て子」とも記されている。
 ただ、蓑虫にとっては、我が子を捨てたのではなく、子孫を残すという役目を果たすと、その成長していく姿を見ることもなく一生を終えるのである。

 「蓑虫の 父よと鳴きて 母も無し」  高浜虚子 

 (ちなみに、古くより「ちち、ちち・・・」と鳴くと言われていましたが、実際には蓑虫は鳴かないそうである)


 このように、古くから日本人に馴染みの蓑虫であるが、1990年代後半頃から九州地方をはじめとし、さらに西日本から関東地方へと急速に数を減らし、自治体によっては絶滅危惧種に指定されているところもあるようで、その原因が「オオミノガヤドリバエ」という蓑虫に寄生するハエではないかと言われている。

 真意のほどは定かではないが、この寄生バエ、もともと日本にはいなっかたもので、中国南部から東南アジアなどの暖かいところに生息していて、1990~92年頃、中国北部で大量に発生した蓑虫による樹木への被害対策として、この寄生バエを人為的に大量に放出したというのである。

 その後、数年して九州の蓑虫の中に寄生していたことが確認され、さらに全国へと広がったものといわれている。 蓑虫への寄生率が九州に近いほど高くなっていることから、中国大陸からなんらかの手段で侵入した可能性が高いといわれている。
 ただ、最近の研究では、この憎き「寄生バエ」にさらに寄生するハチが日本にいるというのである。 この「寄生バチ」が結果的に「蓑虫」を絶滅の危機から救ってくれる救世主になるのか。

 これから、庭や公園、雑木林の小枝で風にゆらゆら揺れている「蓑虫」見かけることがあれば、「ああ、健気に生きているな~、がんばれよ」と、声をかけてやろう。




 啓蟄(けいちつ)を過ぎると、日差しにも少しずつ暖かさが戻ってくる。 この頃になると、冬の間は蛹(さなぎ)として過ごしたモンシロチョウも羽化をし、蝶になり河川敷の菜の花の間を飛び交う姿が見られるようになる。
 蝶となりわずか数週間の短い命、この間に産卵をし、次の世代に命のバトンを繋げる。 ちなみに俳句でも蝶(ちょう)は、春の季語となっている。


「 てふてふ  ひらひら  いらかをこえた 」   (山頭火)


「 啓蟄の蚯蚓(みみず)の紅のすきとほる 」    (山口青邨)