2012年3月10日土曜日

大山道について


相州(相模国)・大山道


 かって、大山信仰が隆盛を極めていた頃は、関東の道はすべて大山道に通ずると言われたほどで、大山を中心に放射状に広がり、それらは「大山道」と呼ばれる参詣の道であった。

 その中で、もっとも多く利用されていたのが「田村通り・大山道」であり、その他にも江戸・赤坂から青山・矢倉沢へ向かう「矢倉沢往還」として知られる「青山通り・大山道」や、「柏尾通り・大山道」、「府中通り・大山道」、「八王子通り・大山道」、「羽根尾通り・大山道」、「六本松通り・大山道」などが知られている。

 これらの道は、いわゆる街道として特別整備されたものではなく、庶民の信仰の道であるとともに、またその地域の生活道でもあった。 そのため道筋は、その時代々々により少しずつ変化していったものと思われます。

 大山道の辻々には、大山の神々を深く信仰する「大山講中」の人々により献納されたと思われる石灯篭や、不動尊、地域の人々が建てた庚申塔などに刻まれた大山道の道しるべが、人々を大山へと導いてくれた。

 江戸の元禄以前には、すでに「大山講中」が各地で結成されており、最盛期の宝暦年間(1750年代)には、年間20万人以上もの人が大山をめざした。 これら参詣者の多くが夏の例祭期間中に集中したため、臨時の旅籠や、土産物屋、先達まで出る騒ぎとなり、ひと稼ぎしようとする者まで現われたという。

 明治時代の中期以降、鉄道や自動車などの交通網の発達により、大山道は次第に利用されなくなり、忘れられていった。 さらに戦後の昭和30年代以降、日本の高度経済成長とともに道路の拡張工事、宅地造成、工場用地開発などにより完全に消滅してしまった道もある。



相模風土記による主な大山道

1.田村通り大山道
(東海道・藤沢宿四ッ谷~一ノ宮(寒川)~田村の渡し(相模川)~横村~下谷~伊勢原~〆引   ~子易~大山)
* 東海道・藤沢宿西方の辻堂村四ツ谷(藤沢市)で東海道と分かれ、一之宮(寒川町)
   から田村の渡しで相模川を渡り、伊勢原、大山に到る道。

2.柏尾通り大山道
(東海道・戸塚宿・柏尾不動坂~長後~用田~門沢橋・戸田の渡し(相模川)~下津古久~下    落合~下糟屋<下糟屋で青山通り・大山道と合流>~大山
* 東海道・戸塚宿の東、柏尾不動坂(横浜市戸塚区)から分かれて、長後(藤沢市)、
   用田(藤沢市)を経て戸田の渡し(海老名市門沢橋)で相模川を渡り、下糟屋(伊
   勢原市)、上粕屋(伊勢原市)を経て大山に到る道。

3.青山通り大山道(矢倉沢往還)
(江戸・赤坂御門~青山(渋谷)~二子の渡し(多摩川)~溝口~下鶴間~国分~厚木の渡し    (相模川)~厚木~愛甲~下糟屋<柏尾通り大山道と合流>~上粕屋~子易~大山
* 江戸・赤坂御門から東海道の裏街道としても利用されていた矢倉沢往還を青山、
   二子、厚木を経て、下糟屋で「柏尾通り大山道」と合流する。厚木までを「厚木
   街道」とも呼ばれていた。

4.蓑毛通り大山道
(渋沢・矢倉沢往還分岐~蓑毛~蓑毛越~大山)
* 駿河方面から足柄峠を経て箱根連山を越え、松田(松田町)、千村(秦野市)と矢
   倉沢往還を通り、曲松(秦野市渋沢)から田原(秦野市)、蓑毛(秦野市)を経て
   大山に到る道。 大山南麓の「蓑毛(秦野市)」から直接大山山頂に到ることもで
   きるこの道は、同じように大山東麓の「日向薬師(伊勢原市)」から直接大山山頂
   に到る道とともに、近世に表参道の「子易口(伊勢原市)」が開ける以前からの古
   い道とも言われている。

5.羽根尾通り大山道
(東海道・町屋~羽根尾~井ノ口<六本松通り大山道と合流>~曽屋~子易~大山)
* 国府津の東、町屋(小田原市)で東海道と分かれ、羽根尾(小田原市)から井ノ口
   (中井町)、曽屋(秦野市)、子易(伊勢原市)を経て大山に到る道。

6.六本松通り大山道
(東海道・小田原宿~六本松峠~井ノ口<羽根尾通り大山道と合流>~曽屋~子易~大山)
* 東海道・小田原宿の北、多古(小田原市)から酒匂川を渡り、飯泉(小田原市)、
   曽我(小田原市)から六本松峠を越え、井ノ口(中井町)で「羽根尾通り大山道」
   に合流し、大山に到る。この道は、駿府(静岡市)方面から沼津、三島と東海道
   を箱根峠を越え、大山に向かう参拝の道でもあった。

7.府中通り大山道
(春日部~岩槻~大宮~浦和~足立~府中~多摩~木曽~相模原~古淵~猿ヶ島の渡し    (相模川)~才戸の渡し(中津川)<八王子通り大山道に合流>~千頭~小野~日向~上粕屋  ~大山)
* 日光道中の岩槻(埼玉県)から武蔵府中(東京都)、多摩川を渡り関戸(多摩市)
   から多摩丘陵を越え、小野路(町田市)、木曽(町田市)、さらに磯部(相模原市)
   から猿ヶ島の渡しで相模川を上依知(厚木市)に渡り、荻野(厚木市)、小野(厚
   木市)から日向(伊勢原市)で「八王子通り大山道」と合流し、石倉追分(伊勢原
   市)で「青山通り大山道」に合流し大山に到る道。

8.八王子通り大山道
(熊谷~東松山~川越~狭山~福生~八王子~橋本~当麻の渡し/田名の渡し(相模)~才    戸の渡し(中津川)<府中通り大山道に合流>~上粕屋~大山)
* 中山道の熊谷宿(埼玉県熊谷市)から荒川、入間川を渡り、扇町屋(埼玉県入間
   市)、箱根崎(東京都瑞穂町)を経て、八王子(東京都八王子市)で甲州街道を横
   切り、多摩の横山を越え、さらに橋本(相模原市)、田名(相模原市)、当麻(相模
   原市)から相模川を渡り、上依知(厚木市)で「府中通り大山道」に合流し大山に到
   る道。

9.甲州(山梨県)方面からの道
● 甲州街道・吉野宿または与瀬宿から分岐し、津久井郡鳥屋を経て宮ヶ瀬、煤ヶ谷、
   別所、七沢、藤野、日向から大山へ到る道。
● 甲州街道・石和宿より分岐し、富士吉田より富士山へ登拝後、御殿場に下山し、
   竹ノ下、足柄峠、矢倉沢、関本、渋沢、西田原、蓑毛と経て大山へ到る道。

*これら以外にも、多くの「大山道」と呼ばれた道があり、たくさんの人々が大山を目指して歩いて行った。